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民明書房刊 偉大なる奥義のガイドライン

1 :水先案名無い人:2006/01/21(土) 07:33:52 ID:wgOeD3tV0
民明書房風になんでも解説したレスを集めましょう。

「むぅ、あれはまさか!」
「し、知っておるのか雷電ーっ!」
「うむ、しかしまさかあの奥義を現代に伝える者がいようとは・・・」

【前スレ】
民明書房刊 究極なる奥義のガイドライン
http://ex13.2ch.net/test/read.cgi/gline/1094861945/

2 :水先案名無い人:2006/01/21(土) 07:34:06 ID:wgOeD3tV0
『煮解賭 ( にげと ) 』

明朝末期、中國北東部の男達の間で、素麗建(すれたて)なる遊びが流行っていた。
先端に旗をくくりつけた棒を地面に立て、合図と共に棒に駆け寄りに旗を奪い合
うという、己の機敏さを誇示する遊びであった。
やがてこの遊びに飽きた者達が、毒草を煮込んだ煮汁を飲み、その解毒剤を旗代
わりにして奪い合うという遊びに発展させた。
命を落とす者が続出したが、戦いに勝利したものは英雄として賞賛され、朝廷に
仕える者を輩出するほどであった。
この毒草の煮汁の解毒剤を賭けた闘いは「煮解賭」と呼ばれ、時代を左右する勝
負の場でも競われてきた。
己の肉体を誇示する機会の少なくなった現代社会においては、インターネットで
の「2ゲット」と形を変えて、現代人が機敏さを争っているのである。

( 民明書房刊 「DNAに刻まれた中國 現代人の行動のルーツを探る」 より )

3 :水先案名無い人:2006/01/21(土) 07:35:04 ID:wgOeD3tV0
『酸下吐(さんげと)』

「煮解賭(にげと)」により、毒にやられて命を落とす者が続出したのは前述の通りだが、
全国的に流行するにつれて、これは深刻な問題となっていった。
そこで、時の皇帝である崇禎帝は、新しい規範を作り出した。
煮解賭に失敗した人間でも、その毒素を完全に吐き出すことができれば
煮解賭の勝利者に準ずる豪傑という評価を与えるというものである。
肉体を酷使して、大量の胃酸とともに吐き出すことから
庶民の間で、酸下吐(さんげと)と呼ばれるようになった。
酸下吐の登場により、煮解賭に参加できない文民の中には、
これを専門とする者も現れ始めた。
彼らの策謀能力を、朝廷が重宝したことは言うまでもない。
己の戦略を進言する機会の少なくなった現代社会においては、インターネットで
の「3ゲット」と形を変えて、現代人が狡猾さを競っているのである。

( 民明書房刊 「DNAに刻まれた中國 現代人の行動のルーツを探る」 より )

4 :水先案名無い人:2006/01/21(土) 07:36:06 ID:wgOeD3tV0
『四外途(よんげと)』

>>2>>3で記されているとおり、煮解賭・酸下吐が明朝末期に流行したのだが
当時、四順(よん・じゅん)という東の半島出身といわれる者が
煮解賭・酸下吐の名人と言われていた。
ところが四は実際には煮解賭・酸下吐の名手でも何でもなく
ただ時の瓦版出版者で大富豪だった蝦正日(えび・じょんいる)と
宦官田通(でん・つう)のお気に入りというだけで
彼の出場した煮解賭・酸下吐に関しては全てデキレースだったと言われている。
明代はTVは当然のことながらその他庶民が情報を知る術は殆ど無く、
首都以外においては蝦が発行する瓦版得鵺治恵(えぬえいちけい)が
庶民が情報を知る全てであった。
瓦版によると四は絶世の美男子と書かれているが
実際には外見も通常の人間より劣っていたという。
しかし瓦版を読んで、四の出場する煮解賭・酸下吐を観戦にきた庶民の多くが
実際の四を目撃してもなお四を英雄と崇め、「四様」と称されたと言う。
一方で、四の人気なるものが蝦・田の捏造だと見破った一部の者は
「人の途に外れた四」と言うことで、四外途と彼を嘲ったと言われる。
現在において「4ゲット」が「2ゲット」「3ゲット」と違って嘲りの対象でしかないのは
このことが原因ともいえる。2ゲット・3ゲットと違って
4ゲットには何の己の実力も必要としないからであろう。

なお、四順の正体は現在の青海省州毎里(すまいり)出身の武将で
根栗の乱で神策(かみ・さく)らと反乱を起こし女性を生き埋めにするなど残虐の限りを尽くしたが
政府軍に敗れ逃亡した鬼朽(き・くち)という説が濃厚である。

( 民明書房刊 「DNAに刻まれた中國 現代人の行動のルーツを探る」 より )

5 :水先案名無い人:2006/01/21(土) 07:37:24 ID:wgOeD3tV0
209 :田沢風典夫麗(てんぷれい) :04/02/04 02:35 ID:dGVN/d24
田沢「押忍! 不肖ながら田沢一号生、民明書房引用文の作り方を言うであります!」
松尾「なんかモーレツに悪い予感がするのう…」
田沢「それでは、耳の穴かっぽじってよく聞くでありまっす!

一.何を引用したか必ず最初に書くべし!
  わかりやすさが一番であります!!
一.当て字を初めて使う場合は必ず読み仮名をあてるべし!
  相手が理解できない単語が多いと読みづらいのであります!!
一.マニアックなネタは内容に少々説明を入れるべし!
  良いネタも相手に伝わってこそであります!!
一.引用した場合はできれば引用元へのリンクを張るべし!
  コピペから交流の輪を深めるのであります!!
一.最後に『民明書房刊「○○」より』をつけるべし!
  基本且つ一番重要なところであります!!

 以上、基本的なルールなのであります!
 後はスレの他の例文を読んで参考にするといいと思うのであります!」
鬼ヒゲ「ふーむ、やっぱり田沢は博学じゃのう」
桃「フッフフ、あいつは頼りになるぜ」

6 :水先案名無い人:2006/01/21(土) 09:17:03 ID:hfBYvhzw0
5 Name: 水先案名無い人 [sage] Date: 04/09/11 14:59:19 ID: ZIY3UWdJ Be:
「ぬおぉ〜っ、前スレが終わってしまいそうじゃ〜〜」
「今度こそこのワシが新スレを立てるぞぉ〜」
「いや今度こそはこの俺が」
「いや、このスレ、俺が立てる!!」
バァァアアアアアン!
「「お、お前は>>1ぃぃぃ!!」」
「ワシが新スレを立てようとしておったのに!」
「おい伊達! 黙ってないでお前からもなんとか言ってくれぇ!」
「フッ……かつてはあの三面拳をもネタにした>>1……
敵にしたら恐ろしい男だが、味方にしたらこれほど頼もしいヤツはいないぜ」


ってなわけで>>1乙。


7 :水先案名無い人:2006/01/21(土) 09:19:03 ID:hfBYvhzw0
815 Name: 水先案名無い人 [sage] Date: 2005/10/25(火) 16:31:20 ID: DO2ZDA7e0 Be:
田沢「教官殿!
    太公望書林などからの出典の許可も頂けないでしょうか!?」

816 Name: 水先案名無い人 [sage] Date: 2005/10/25(火) 22:01:09 ID: 89v5rVD70 Be:
鬼ヒゲ「おう!田沢は勉強熱心じゃのう!構わんぞ!」

864 Name: 水先案名無い人 [sage] Date: 2005/12/01(木) 01:19:12 ID: mV/eId6u0 Be:
>>860
このスレでは民明書房のほか、
曙蓬莱新聞社、太公望書林、ミュンヒハウゼン出版等からによる出典も推奨されておる。

8 :水先案名無い人:2006/01/21(土) 09:21:02 ID:hfBYvhzw0
13 Name: 水先案名無い人 [sage] Date: 04/09/12 08:09:41 ID: WH6iJXQH Be:
まとめサイト
http://www5f.biglobe.ne.jp/~sakura_15/dic/html/

789 Name: 水先案名無い人 [sage] Date: 2005/10/08(土) 21:51:55 ID: vYlmKvF70 Be:
http://yokohama.cool.ne.jp/nikutaijin/minmei.html

今更だが作中に登場した民明書房をここで全て見れる

9 :水先案名無い人:2006/01/21(土) 22:48:24 ID:nstOx/ShO
依稚御都(いちおつ)

三国時代、呉には依稚(いち)と言う大工がいた。
ある時、大将軍・陸遜の命令で依稚が作った州麗(すれ)という町を見た呉皇帝・孫権は感嘆のあまり
「御都(おつ。長安のこと)のようだ」
と漏らしたという
そのことから、素晴らしい物を作り上げた者に対して依稚御都と声をかけるようになった
一時は絶滅しかけた風習であったが、現代日本のネット上で「>>1乙」という形になって蘇ってきている

民明書房「ねぎらいの言葉百選」より抜粋

てわけで>>1

10 :水先案名無い人:2006/01/23(月) 21:29:03 ID:MgjknpIn0
トンファーキック

トンファーは元々は沖縄で伝わっていた武器であり、当然トンファーを使った格闘術も沖縄に存在する。
だがそれは、トンファーを振り回すのではなく、トンファーと己の拳や足を自在に使用した格闘術だ。
敵との戦闘のときに、トンファーを構えた状態にして敵の視線をトンファーに注目させ、
その隙に敵の腹部等に蹴りを打ち込む、トンファーキックは、トンファー格闘術の基本である。

トンファーは相手を叩くものではなく、相手を欺くものである。 (トンファー格闘術の開祖:唐牟破の言葉)

民明書房刊「基礎から始めるトンファー」より


トンファービーム

トンファーを手足のように使いこなせるようになった頃には、その精神力で瞳から光線を放てるようになっているだろう。
だが、それを攻撃用途として使うのは愚の骨頂である。トンファー格闘術の基礎を思い出してほしい。
そうだ。トンファー格闘術の基礎。それはトンファーと己の拳と足を自在に使うこと。
その光線の使用用途は唯一つ。光線を放ち、相手が回避した瞬間に敵の腹部に蹴りを打ち込むことだ!

トンファー格闘術で勝ち抜く方法。それはあらゆる手段を持って、相手の注意を逸らせるかだ。(トンファー格闘術の開祖:唐牟破の言葉)

民明書房刊「トンファー格闘術・奥義入門編」より

11 :水先案名無い人:2006/01/23(月) 21:47:54 ID:MgjknpIn0
トンファーウォーク

トンファー格闘術の開祖、唐牟破には数多くの武勇伝がある。
唐の才覚に嫉妬した同門の士が彼を襲撃しようと企んだことがあった。
彼らは唐の行動を熟知しており、彼が夜に、散歩するということも分かっていた。彼らは剣や弓で武装し、唐が散歩する夜を待った。
そして、その夜。彼らの読み通りに唐は散歩をし始めた。そして、彼らが潜む道に通りかかった。
彼らは武器を構え、唐に襲いかかろうとした瞬間。仲間の一人が突然腹部に強い衝撃を受け、そのまま失神した。
そして、続けざまに他の仲間も腹部に衝撃を受け、気絶してしまった。
焦った彼は茂みから飛び出し、剣を掲げ、唐に斬りかかろうとしたが、唐の目の前で腹部に強烈な衝撃を受け、
他の仲間同様、気絶してしまった。

唐は、ただトンファーを持ちながら歩いていただけであった。だが、それすらも唐は技の一つに昇華させてしまったのだ。
一見無防備と見せ掛け、相手の油断を誘い、歩行時の僅かな風を弾丸の威力に変えて、敵を撃ちぬく。
これぞ、トンファー格闘術最大の奥義の一つ。トンファー歩行術である。
トンファー歩行術を会得し、自在に操れる人間は、未だに唐牟破以外いない。

民明書房刊「伝説のトンファーマスター 唐牟破列伝」より

12 :水先案名無い人:2006/01/23(月) 21:59:33 ID:qap9+CWt0
705 水先案名無い人 sage 2006/01/14(土) 16:50:53 ID:/RK4znEO0
豚不亜美衣無(とんふあびいむ)

戦乱の三国時代、豚と不亜という二人の少年が、仙人・左慈から習ったといわれる秘技中の秘技。
その習得のために、二人は想像を絶する修行を積んだとされる。
修行の詳細な内容は不明だが、一切の美しい装飾や衣類を無いものとし、全裸で行ったと伝えられる。
修行を成し遂げた二人が、一たび手にした棒(一説には男根との説あり)を振るうと、
相手は怒号とともに衝撃を受けて吹き飛んだという。
現在でも「トンファー○○」という攻撃に対して「ドゴォォォ」という効果音を用いるAAが広く用いられるが、
その原点が中国にある点は、意外と知られていない。
なお、中国にはトンファーと呼ばれる棒状の武器があるが、名称は偶然の一致であり、豚不亜美衣無との関係は無い。

民明書房刊「出ず棒〜猛き戦乱の棒」より


13 :水先案名無い人:2006/01/25(水) 16:40:52 ID:MtZps/hNO
羽血無誇(ぱちんこ)

明代中国において、裏格闘技は隆盛となった
乱立した流派を纏めるために時の富豪・左観委(さみい)は格闘大会を主催した
この大会は流派ごとの禁じ手による不公平さを無くすため、
男のシンボルたる玉と玉をぶつけあうルールとされた
これは流血沙汰が嫌いであった左観委の側近、羽(ぱ)の提案であり、
羽血無誇(羽が流血が無かったことを誇った大会)と呼ばれた
現代日本においてパチンコという遊びがあるが、これが羽血無誇に端を発しているのは間違いないだろう

民明書房「富樫リーチはとにかく当たらない」より抜粋

14 :水先案名無い人:2006/01/25(水) 18:37:14 ID:8DN4uMdyO
古代中国。南蛮に阿託(あたく)と呼ばれる武将がいた。
とある遠征の折、馬鈴(ばれい)峡谷の中腹で敵国の一軍と対峙してしまった際、彼は一計を案じた。

まず丈夫な蔓を編んで巨大な網を作り、谷間に巡らせることで両軍を分断した。
続いて投石器を用い動きの取れぬ敵陣に石の雨を降らせ、これを壊滅状態に陥れたのである。

この大勝を機に諸侯から絶大な支持を得た阿託は、のちに南蛮の王となる。


現代においても、ひときわ有能な者を指して「No.1(ナンバーワン)」と称することがあるが、
これは南蛮の王すなわち「ナンバンワン」に由来するものであることは言うまでもない。


( 民明書房刊 「阿託 〜南蛮王〜」 より抜粋)

15 :水先案名無い人:2006/01/26(木) 03:36:20 ID:gkFccVmi0
>>14
ワラタ

16 :水先案名無い人:2006/01/26(木) 12:03:16 ID:kldqimyT0
富樫「ああーん? 高級ーヒー?!」
富樫「がはは 相手の野郎 アホな誤植をかましておるぞー!」
雷電「むう!?あれは誤植なのではない・・
   あれこそは中国古来に伝わる決闘法 無滑下武(ぶんかつかぶ)!」

無滑下武(ぶんかつかぶ)
中国拳法乱立の時代。
時の皇帝 宮帝は流派同士の抗争時にと、恐るべき決闘法を考案した
+それが無滑下武(ぶんかつかぶ)である
「腕」や「足」などの文字を書いた木で足場を組み 不安定な上で決闘を始める
そして、攻撃を受けた箇所の字が書かれた組み木を、次々と抜いていくのである
最後まで落下せずに生き残った流派が勝者(勝ち組)であり、
負けたものは「ホリエモーン」(転落死の意)と呼ばれ蔑まれた
民明書房刊 「中国拳法の暗黒史 爽帝の叛意」より

富樫「な なにーっ 」
虎丸「ち 中国拳法にもあるじゃとーっ!」
伝説の相場師「コの字はすでに抜いている 貴様らにこの決闘法が受けられるか!」

17 :水先案名無い人:2006/01/27(金) 16:24:04 ID:KVA/H8zn0
濡留歩(ぬるぽ)
中国がアメリカとの交易を始めて間もないころ、中国各地の道場では
「濡留歩」という歩法を訓練していた。
これは、濡れて水が溜まり、ぬかるんだ地面の上を歩くというもので、
一定距離のぬかるみに如何に足をとられず、かつ早く抜け出せるかを門下生が二人で同時に競い合うのが主流であった。
尚、この競争で時間を浪費しすぎて敗北した門下生は、勝者が喝を入れることができる。
また余談ではあるが、この濡留歩を極めた者は徴兵の際に重宝され、
濡留歩を身に着けていない青年よりも短い期間で兵役を終えることができたのだという。

現代日本で、「ぬるぽ」という書き込みに対して「ガッ」という書き込みをするのがお約束となっているのは、
この故事が起源であることは賢明な読者の推察する通りである。
また、何故「喝」が「ガッ」に変わっているかというのは、交易相手国のアメリカから伝わった「根性」という意味の英単語「ガッツ(GUTS)」
が「喝」と混じって、インターネットを通じて日本に伝わった際に「ガッ」という風に歪曲して伝わったという説が有力である。

民明書房刊「雨の日のすごし方〜偉大なる先人の知恵〜」より抜粋

18 :水先案名無い人:2006/01/27(金) 21:34:17 ID:OHFqCPD9O
三国時代、かの梟雄・董卓は暴虐の徒として知られるが、同時に数々の新制度を打ち出した改革者でもあった。
その制度のひとつに「執令(すれい)」なる役職があったということは近代まで知られていなかった事実である。


執令とは王(董卓)の傍らに侍りその行動を子細に記録する係であり、その業務は苛烈を極めた。
何しろ、食事や用便の際も、また時には睡眠時ですら筆と書簡とを手放すことは許されぬのである。
書簡の数がおよそ1000を越える頃には、その腕も精神も使い物にならなくなるほどであったという。

そこで1000巻に到達する前に、新しい執令を立てる事になる。
その際、前任の執令は口封じの為、生きながらにして埋められるのである。
退任時に980巻までを書き上げた者であれば20人でこれを埋め、995巻であれば5人で埋める、といった具合であった。

時として後任者を立てるのが遅れることもあり、そうした際に董卓は
「次の執令はまだか」と、食器等を箸で打ち鳴らし矢のような催促をしたという。
また、後任者の業務が始まっているにもかかわらず前任者がまだ生きている事を知ると、
「前執令がまだ埋まっておらぬ」と、即座に指摘したという。

さらに、新しい執令が善き働き

19 :水先案名無い人:2006/01/27(金) 21:36:22 ID:OHFqCPD9O
途中で切れちまいますた('A`)


さらに、新しい執令が善き働きをする者であれば「良執令を挙げるぞ」と公の席上で皆の前に出して褒めあげ、
悪しき働きをする者であれば「糞執令を立てるな」と執令を立てた担当者を厳しく処断した。


こうした慣習は形を変えつつも現代に残り、インターネットの掲示板等で
似たようなやり取りがしばしば見受けられるのは我々のよく知るところである。


(民明書房刊「新執令の該度螺因」より抜粋)

20 :水先案名無い人:2006/01/28(土) 00:09:58 ID:SNe069fY0
麒麟判(きりばん)

古来より中国では「三十にして立つ、四十にして惑わず、五十にして天命を知る」と言われるように
真の偉丈夫達は人生において10年の歳月を区切りの指標とし、日々己を厳しく律するものであった。
そして無事に節目の年を迎えることができた者には中華における吉祥の象徴である「麒麟」を模った
「麒麟判」と呼ばれる札を祝いの印として贈り、男子としてなお一層の精進や活躍を祈るという習慣があった。

この習慣は海を渡って日本に伝わり、現在は形を変えているがインターネットの掲示板上で
節目の数字を縁起物をして「きりばん」と呼んでいることは賢明なる読者諸君の推察するとおりである。


民明書房刊「ゼロ -その偉大なる数字-」より抜粋


21 :水先案名無い人:2006/01/28(土) 00:35:20 ID:w27V8HwTO
>>18-19
>>1は生き埋め確定か…カワイソス

22 :水先案名無い人:2006/01/28(土) 01:04:15 ID:SNe069fY0
寺話呂須(てらわろす)

中国は戦国時代の話。
世は麻の様に乱れ、民衆の中には貧しさの余り山賊に身をやつす者も多かったという。
そんな世を憂いた呂須という一人の高僧は、事あるごとに貧しい民衆を寺に招いて
食事を与え仏の教えを説き、殺生や盗みを働く者たちを改心させることに努めた。
呂須は学問の心得のない者達にもわかりやすいように、仏の教えをを面白おかしく話したため
たいそう評判がよく、遠くの国からも呂須の面白い説話を聞きたいと寺を訪れる者もあったという。

そして呂須が亡くなった後も彼の名は人々の記憶に受け継がれ、面白い出来事があるたび
「まるで寺で話をしているときの呂須のようだ」と言うようになったという。
現代においても、ひときわ面白い話に対して人々が「寺話呂須、寺話呂須」と賞賛を与えるのは
このエピソードに由来するのは言うまでもない。


(民明書房刊「笑いの科学・応用編」より抜粋)

23 :過去スレ:2006/01/30(月) 12:01:27 ID:Ck2vgvDs0
民明書房のガイドライン
http://2ch.pop.tc/log/06/01/22/0855/1034952784.html
民明書房刊 DNAに刻まれた中國のガイドライン
http://2ch.pop.tc/log/06/01/22/0855/1063185617.html
民明書房刊 究極なる奥義のガイドライン(前スレ)
http://2ch.pop.tc/log/06/01/22/0855/1094861945.html

24 :水先案名無い人:2006/01/31(火) 04:54:56 ID:5C5HLNE90
770 Name: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします [] Date: 2006/01/31(火) 04:30:13.42 ID: pJUofHRVO Be:
『砂贈饉(すなおくるう)』

中国三国時代初期、相継ぐ戦乱と飢饉により、民衆は貧困の極みに在った。
当然満足な食事も得られず、餓死する者も後を絶たなかったという。
そんな中、ひとりの農民の娘が恋人に大量の砂を贈った。
砂を噛むことにより飢えを誤魔化すという農民の知恵だが、商人である恋人には通じず、送りかえされた。
面と向かって「食べて欲しい」と言っても理解されず、激怒した娘は恋人を殺害、その遺体を食して飢えを満たしたという。
この故事より、相手に理解されない行動をとり、破滅的な結末を迎える事を「砂贈饉」と言うようになったという。
この故事が日本に伝わり言葉を変え、「素直狂う」という一大ジャンルとなっているのは読者諸君も知るところであろう。

民明書房刊「中国狂人史〜四千年の狂気〜」より抜粋

http://www.geocities.jp/sunaokuruu/index.htm

25 :水先案名無い人:2006/02/04(土) 10:16:13 ID:9xQ02RS+0
喪まいらが選ぶ 前スレのベストはどれよ

26 :水先案名無い人:2006/02/04(土) 22:21:15 ID:FuLJnLjD0
前スレ797の「禅院衆合(ぜんいんしゅうごう)」は良かったのうー!
わしは前々スレの「趙三シリーズ」も大好きだったんじゃ。

そして714の「解捻流惨断手(かいねんりゅうさんだんしゅ)」!
これこそ前スレの最高傑作じゃろう!

しかし一番驚いたのは、221で塾長自らお出ましになられた事かのう。

27 :水先案名無い人:2006/02/05(日) 03:14:55 ID:Ze9ycimL0


28 :水先案名無い人:2006/02/05(日) 10:32:08 ID:kA5+KKAM0
>>26
それ見たいから貼ってくれ。
前スレが見られないのじゃ。

29 :水先案名無い人:2006/02/05(日) 10:54:38 ID:f/cFBCBP0
『塔夜個院(とうよこいん)』

江戸時代、伊勢神宮に参拝をする「おかげ参り」が流行したが、その道程は長く辛いものであった。
街道沿いには数多くの宿場町が発展し、木賃宿も多く存在したが、安心して泊まることの出来る宿
もあれば、有り金全てを請求するような宿もあり、旅人達は安心かつ廉価な宿を求めることとなった。
これに目をつけた煮信太という商人は、街道沿いの大きな町に廉価で泊まれ、女将による安心感を
与える木賃宿を整備した。その数、全国津々浦々において百を超えたという。宿は全て塔のように
高くそびえ立ち、一夜を過ごす個室を備えた院ということもあり、この名前が付けられた。
しかしながら、少しでも廉価になるよう、少しでも多くの人に利用してもらうよう、木賃宿は改造に改造
を重ね、身体に不自由ある者の利用を拒んだため、横濱奉行所から「この木賃宿使用するべからず」と
通達が出るまでに至った。それにより、利用客は減少。衰退の道をたどることとなる。

なお、現在よく似た名前のホテルチェーンがあり、様々な問題が晒されているが、時代は繰り返す
ことになるのであろうか。

民明書房刊「江戸時代の木賃宿〜ザ・ベストオブ・ビジネスホテル!」より抜粋

30 : ◆GacHAPiUUE :2006/02/05(日) 10:57:58 ID:scFv0GO40
纒亥欠(ガイ)狙振弾

棍法術最強の流派として名高いチャク家流に伝わる最大奥義. この技の創始者 宗家二代 呉 竜府(ご・りゅうふ)は 正確無比の打球で敵をことごとく倒したという.

この現代でいうゴルフスイングにも酷似した 運動力学的観点からいっても 球の飛距離・威力・正確さを得る為に もっとも効果的であることが証明されている.

ちなみに ゴルフは英国発祥というのが定説であったが 最近では前出の創始者がその起源であるという説が支配的である.

----- 民明書房刊「スポーツ起源異聞」より


31 : ◆GacHAPiUUE :2006/02/05(日) 11:00:05 ID:scFv0GO40
鉄騎宙弾

拳法において 身のこなしの素早さはもっとも重要であるが それを倍加させるための道具がこの鉄騎宙弾である.

その原理は至って単純であり バネと体重による反発力を利用したものである.

これを発明した中国漢代の武術師範 宝 浜具は これを使って地上30メートルまで跳躍し 当時の人々を驚嘆させたという.

ちなみに 日本でも昭和30年代に子供達の間で流行した 同形状の玩具・「ホッピング」の名称は この発明者・「宝 浜具(ほう・ぴんぐ)」に由来することは 言うまでもない.

----- 民明書房刊「玩具にみる古代中国の英知」より


32 :水先案名無い人:2006/02/05(日) 11:00:51 ID:K5OTIzKG0
>>30
コピペ元が何かわかっているのか?

33 : ◆GacHAPiUUE :2006/02/05(日) 11:04:08 ID:mABlH/6Y0
男塾名物「羅倶美偉」

選手全員が塩酸バリトニウムという劇薬を飲む.これを飲むと 通常成人の場合,20分で死にいたるという.

助かる道はただ一つ, 鉱素ミナトリウムという解毒剤を 二十分以内に服用することである. 解毒剤を相手ゴールしたにある金庫に入れ,その金庫の鍵を鋼鉄製の ボールの中に入れる.

この鍵の入ったボールを奪い合い,早く金庫を 開け,解毒剤を飲んだ方が勝ち.もちろん,負けた方は全員死亡する ことは明らかである.

なお,「羅倶美偉」は塾長の許可なければ できない程の荒試合である. その起源は遠くヨーロッパ中世ラグビー発祥の地イギリス・ イングランド地方にあるという.

その頃王侯たちの間では, ラグビー(その原形というべきか)のチームを持ち,競い合うことが 流行し,自分のチームを強くする為にそのような残虐な練習方法が いくたびか行われたと記録にある.

----- 民明書房刊「ヨーロッパ中世スポーツの起源より」


34 : ◆GacHAPiUUE :2006/02/05(日) 11:06:59 ID:mABlH/6Y0
はらならい
『臍ヲ覗カレ イト恥カシキ 不埒物ノ臓物 ブチマケタシ候』
この一文から判るように古来より日本では腹には心が宿るとされていおり
『腹が立つ』、『腹を決める』、『腹を割って話す』、『腹黒い』 …
これらの様に感情に関係する表現をする際に多く用いられてきた。

さて、件の【はらならい】であるが
主君が濡れ衣を着せられ切腹を強いられた時
部下が主の潔白を示す為に後を追い腹を切った事に由来しており現在では意味が拡大し
『親しき者が危機に瀕していている際に、障害となる者の臓物をブチ撒けてでも手助けをする。』
と、いう心意気を示す際にも使われる言葉である。

(民明書房刊 『蝶素晴らしき十二指腸』より抜粋)


35 :水先案名無い人:2006/02/05(日) 12:20:07 ID:cf85RH5/0
◆GacHAPiUUE

…馬鹿?

36 :水先案名無い人:2006/02/05(日) 12:58:10 ID:3RpmZRzrO
>>29
ワロス

37 :水先案名無い人:2006/02/06(月) 01:45:31 ID:HF3RV4q80
唖那屡付唖苦(あなる ふあく)

漢の時代、時の皇帝が政敵を捕らえた際、その者達に最大限の屈辱を与える刑罰を
考えるように、当時執行責任者であった唖那 屡(あな る)に命令した。

唖那は、思案した挙句に肛門への加虐を思いつき、それを様々な形で発展させ、
ついには罪人達が死罪よりも恐れる刑罰へと発展させた。特に男性器を模した張型を
肛門に挿入して行う"付唖苦(ふあく)"と呼ばれる刑罰は、それがもたらす痛みと、
更には前立腺の摩擦によって同時に励起される快感に屈した罪人たちに、宛ら、
その者の尊厳全てを蹂躙されたかのような気分を味あわせたと言う。

予断であるが、現代において代表的なアブノーマル・セックスの一つである
"アナルファック"が、上記の"唖那屡の付唖苦”に端を発することは意外と知られていない。


                        民明書房刊『古代刑法全』より

38 :水先案名無い人:2006/02/07(火) 18:46:32 ID:a9rEUBMA0
689 名前: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします [sage] 投稿日: 06/02/07 18:17:31 ID:mkt5IZN0
田泥美有無 (デンドロビウム)
古来より日本は米の国と言われ、今もその名残が全国各地に残っている。
かつて江戸時代はその米を年貢として納め、大名に使える武士は米を給与としてもらっていた。
また、米はしばしば大名の勢力の強さを表す指数として使われ、一万石や十万石などといった
一種の勲章のような働きをしていた。
そのため、米は生活にはなくてはならない穀物であり、雑穀とは一線を画した存在として農民をはじめ
商人、武士などから非常に重く扱われたという。

さて、その米を作るのは言うまでもないだろうが田圃である。なかでも田に養分を含んだ良い泥があるか否かは
その田を評価する際の基準となり、農民は挙って田に養分を含ませ、良い田を作ろうと努めていた。
そして江戸後期には、泥のある田は美しく、泥の無い田は醜いとされ、田の良し悪しはその田の泥を見比べるという
方法で評価されるようになっていった。

このことから、良い田とは泥が有るものであり、泥のない田は悪い田であるということを農民に伝え、田の良し悪しを
農民たちに競わせることで米の生産量を増やそうと、かの米将軍徳川吉宗は『田に泥が有るか無いかを調べ、ある田を
美しいと定める』というお触れを出させた。
時の老中水野忠之はこれを『田泥美有無』と銘打ち、各藩に『田泥美有無の令』として公布したという。
これにより米の生産量は増え、幕府の財政はより安定したのである。

また、機動戦士ガンダム0083にも似たような名前の機体が出てくるが、そちらはギリシア語の「木」と「生ずる」から
成った造語であることは聡明な読者には言うまでもないだろう。

民明書房刊「戦えぼくらの米将軍 〜黎明の城下町編〜」より一部抜粋

39 :水先案名無い人:2006/02/09(木) 22:44:07 ID:2xRTEkpt0
旧シャア板 ttp://anime.2ch.net/test/read.cgi/x3/1137263636/
どきどきプルちゃんII 哀・戦士編

炉梨流棒術(炉梨棍)
中国に数多あるという棒術の中でもその長い歴史で
一際異彩を放つものが唐代に流行した炉梨流棒術であろう。
己の肉体の棒のみで戦う姿は最早伝説といっても過言ではない。
しかしその修行は大変厳しく、修行者たちは妖しきものを除き
己の覇気を高めるという意味で「妖除覇覇(ようじょはぁはぁ)」の
掛け声を出して修行に励んだという。
しかし当然門下生には厳しい修行に負けて脱落者も出ており、
そういった者は近隣の村のトシバも行かない少女によからぬ行為を
行う者も多く、当時社会的な問題になった。
民衆はそういったものを「丙奴(ペド・甲乙丙でいえば丙のような奴)」
と呼んで忌み嫌われたという。
現代でも少女との性行為をほのめかすような奴に対して
「氏ね、ペド野郎」という事があるが、これは無論当時の名残である。
民名書房『萌える!中国武術』より抜粋

40 :水先案名無い人:2006/02/10(金) 04:57:40 ID:1xik4tdb0
墓教台(ばかきょうだい)
まったく勘違いで焦点がずれている様を表す故事。

清朝時代、海の守りをする為に作られた灯台。灯台の兵士、作業員はみな黄色い制服に身を包み、
管理者の趙安(あんちゃん)は赤い服に身を包んだ。

灯台に入る時は合言葉が必要となったが、有名な合言葉に
「結婚後25年是銀婚式、結婚後50年是金婚式、結婚後80年目?」
「是御葬式」
「是趙安(あんちゃんだ)!」
がある。

近代になると
「比家祖是画家、碇家的趙三?」
「馬家(ばか)」
「是趙安!」

「電車要乗車券、船要乗船券、観映画要?」
「高倉健」
「是趙安!」
という風になっていった。

この灯台では度々、官吏になるための試験勉強をするものが多く、また
近くに墓があるので正式な名前は不明だが、通称、墓教台(ばかきょうだい)といわれていた。
件の趙安が「助動詞是2人的徐氏。是助動詞」や「胃下垂是烏賊(雑)炊、蛸是蛸(雑)炊」という
風な流れで教えていった。

なお、趙安に教えられたものは全員科挙に落ちている事実から
この故事が生まれたが、ドリフのバカ兄弟コントを見ていると、
そのやり取りに趙安とあんちゃんがダブってならない。

民明書房刊『怒涛!努吏不之台爆死様』

41 :水先案名無い人:2006/02/10(金) 14:02:34 ID:HB898x4r0
今の総理大臣は?
竹下……竹下恵子!

42 :水先案名無い人:2006/02/10(金) 23:30:19 ID:rfhPJCBM0
バカ兄弟は放送禁止になったけえ悲しいのう。
わしゃ悲しすぎてウンコが漏れそうじゃわい

43 :水先案名無い人:2006/02/14(火) 00:55:32 ID:ETe0KDIs0
『馬連汰淫(ばれんたいん)』

時は江戸時代、如月の十四日(旧暦)に、愛する者同士が互いの愛を試しあうために、
江戸城内の一室を貸し出した上で行われた決闘法である。
その内容は至って簡単であり、本来は木版に用いる馬連を巧みに操って
いかにして相手を先に絶頂へ追いやることができるか、というものである。
この決闘は午前中に行われ、勝者は「一日の間相手を好きにして良い」という権利を得られる。
当時は話題を呼んでいた決闘法ではあったが、相手を好きにして良いという褒章の仕様上、
一時的にではあるが淫行により精神を破壊されてしまう者が増えたため、当時の征夷大将軍徳川家光は
1632年の老中・若年寄・奉行・大目付の制の制定時にこれを廃止した。
だが、以降も互いの愛を試すために秘密裏に馬連汰淫を行う男女、女達が後を絶たなかったのだという。

現在広く伝わっているバレンタインデーの起源が、「馬連汰淫を行う日」であったということは言うまでもない。
だが、この日に馬連を用いて性交に及ぶものはいまや激減し、代わりに愛の証としたチョコレートを渡す日となってしまった。
チョコを気前良く「義理」だといって配っている女性は、元来そのチョコの持っていた重みを分かっているのだろうか?

民明書房刊「世界の決闘法〜番外編〜」より抜粋

44 :水先案名無い人:2006/02/14(火) 08:49:00 ID:HMNbTlLC0
愛する者同士の決闘法ってもうそれだけで十分可笑しくて
あとはどうでもよくなった。

45 :水先案名無い人:2006/02/14(火) 10:31:07 ID:kWvYky0BO
愛深きゆえに…だな

46 :水先案名無い人:2006/02/15(水) 13:30:31 ID:LbBtriry0
398 名前:水先案名無い人 sage 投稿日:2006/02/15(水) 13:05:43 ID:0L5e3+Z40
『 雌露( めろ ) 』

清朝末期、中國北東部の女達の間で、酢濃棒怒(すのうぼうど)なる遊びが流行っていた。
酢を濃縮した棒を怒張した男性器に見立て、合図と共に自慰をして達する速度を競い合
うという、己の女としての優れた性感を誇示する遊びであった。
やがてこの遊びに飽きた者達が、街中で人目に晒されながら、その行為を行う
という遊びに発展させた。
売春婦と呼ばれる者が続出したが、戦いに勝利したものは英雄として賞賛され、朝廷に
仕える者を輩出するほどであった。
この外性器を露出して女の意地を賭けた闘いは「雌露」と呼ばれ、時代を左右する勝
負の場でも競われてきた。
己の肉体を誇示する機会の少なくなった現代社会においては、オリンピックで
の「メロ」と形を変えて、現代人が恥を争っているのである。

民明書房刊「スノーボードの発祥と今世紀までの歴史」より

47 :水先案名無い人:2006/02/15(水) 16:30:30 ID:SriWq6t50
にげとの改変か。

48 :水先案名無い人:2006/02/16(木) 15:09:47 ID:iqQahH700
甜菜

アクダイ・カーン

16世紀に実在したモンゴルの王の1人。
自己の欲望を満たす為、領民の娘召し上げて無理やり側室にしたり高い租税を定めたりと
悪政の限りを尽くした事で知られる。

後の人がアクダイ・カーンになぞらえて悪い領主の事を「アクダイカン」と呼ぶようになった事は
モンゴル人の間ではよく知られている。
                            (民明書房刊「悪名高き世界の王」より)

49 :水先案名無い人:2006/02/17(金) 10:56:02 ID:unvXX2+o0
逆転裁判。。。

50 :水先案名無い人:2006/02/18(土) 09:23:28 ID:ER8Grft+O
プリキュア。。。

51 :水先案名無い人:2006/02/19(日) 11:21:42 ID:/RiYIdoo0
「おう虎丸、最近じゃ己自身では何もネタを書かず、単にお題を書き込んで待つだけという、
他力本願な馬鹿がおるらしいぞ。」

「何じゃとー!?冨樫、それは本当か?
そやつら、塾生の風上にも置けんヘタレじゃのう!わしが性根を叩き直してやる!」

「フフフ、その必要はありませんよ。ほら。」

「な、なにぃー!?既に闘技場の上に月光が!?」

「さっきまで後ろにおったはず・・・い、いつのまに!?」

「月光・・・敵に廻すと恐ろしい相手だが、味方となると心強い奴だぜ。」

52 :水先案名無い人:2006/02/21(火) 06:28:54 ID:nx9//etB0
陰斧流円座(いんふりゅうえんざ)

中国幻の暗殺術と言われた物の中に
戦斧を駆使する「陰斧流」と呼ばれる流派があった。
この流派の特徴は、重さが320斤(約70s強)の戦斧を背に担ぎながら
目的に陰のように近づき、事を果たせば疾風の如く去って行くという
速さと豪快さを併せ持つ、最強とよばれるに相応しい流派として有名であった。
しかし、その修行の厳しさもまた有名で「陰斧流」の数々の荒行が現在にも
文献として残っている。その中でも、とりわけ有名なのは「陰斧流・円座」である。
寒風吹きすさぶ季節に始まるこの修行は、
陰斧流の師範を、屈強な修行者達が上半身裸という姿で囲み、
将来背負う事となる戦斧と同じ重さの鉄塊を背に担ぎ
春先まで約3ヶ月、延々周囲を歩き続けるという荒行である。
しかし、これをやり遂げる事ができた者は、陰斧流の使い手として有望、と
判断されるだけの修行の「入り口」だというのだから恐れ入る。
余談だが、当然この修行に耐え切れず脱落する者も少なくなく
その多くが修行途中で体調を崩し、修行場を抜け出して麓の村へと脱走した。
だが、修行による体調不良から病に侵されていた者が多かった為に
村では流行り病の原因として恐れられた。
それが転じて冬先から春にかけて流行する風邪が「陰斧流円座」と
呼ばれていたのは有名な話である。

                      カゼ
民明書房刊「陰斧流奥義の全て〜疾風の如くあれ〜」より抜粋。

53 :水先案名無い人:2006/02/21(火) 06:34:03 ID:nx9//etB0
反覇亜守(はんぱあしゅ)

時は項羽と劉邦が争った秦王朝末期の頃の話である。
「覇王」と称された楚の項羽は、次々に周辺勢力を平らげ、その勢力を拡大していた。
これに対する後の漢初代皇帝、劉邦は同じように勢力を伸ばしてはいたものの
項羽を劇的に打ち破る これといった打開策も見つからず、勢力の拮抗した両者は 
方々手を尽くし、この均衡状態を打破できる人材を求めていた。
そんな最中、劉邦は腹心・陳平から「亜守仙人」と呼ばれる不思議な老人の推挙を受ける。
亜守仙人が言うには、近く予定されている中立勢力との会合に自分を連れて行け、という。
半信半疑ながら、仙人を連れ会合に赴く劉邦。
しかし、会合は事前に項羽の命を受けた親・項羽派の人間が紛れ込み
中立を装いながら会合を項羽にとって都合の良いように勧めようと計画されていたのだった。
その計画通り、中立勢力の意見は親・項羽、反・劉邦の流れに傾きつつあった。
しかし、その刹那 亜守仙人が不思議な術を小声でボソボソと唱えると
急に、その扇動役であった項羽側の人間が次々と、その場に崩れ落ち
絶命してしまった。心神深い当時の事である、これは項羽側に付くなという
神のお告げだ、と それまでの流れはどこへやら 一気に反・項羽の流れになり
中立勢力の多くが劉邦に味方し、「覇王」項羽はその勢力を劉邦に吸収されていった。
この後、劉邦が項羽を倒し、新王朝を開いたのは周知の事実である。
この故事、または亜守仙人の秘術(相手の精力を吸い取る術)の名から
中国では長い間、敵の勢力を吸収する事、一気に流れを逆転させる事、などを
「反覇亜守」と呼んだ。
これが転じて、「吸収」の意味となり 日本のオムツの商品名のヒントになったとも言われている。

民明書房刊 「オツムとオムツは使いよう」より抜粋。

54 :水先案名無い人:2006/02/21(火) 08:50:37 ID:esAVZQS/0
最後の一行を読むまでわからなかったw

55 :水先案名無い人:2006/02/23(木) 13:58:36 ID:si4j5BEK0
ちと理屈に走りすぎだな
面白さと釣り合ってない

56 :水先案名無い人:2006/02/24(金) 16:42:03 ID:2Io/Unsz0
<アイススケート>
 雪上戦用に開発された武術であり、宮廷武術指南であった
趨筆弩(すう・ぴつど)・馮以虞阿(ふう・いぐあ)兄弟の創始による。
趨の開発した技は素早いうごきで敵を攪乱し、馮が開発した技は、
敵頭上に回転蹴りを食らわせて相手を倒すというものであり、
本来は連携技であったが、いつしか別々の技としてみなされるようになった。
なお今日のフィギュア・スケートが男女ペアで行われるのは、
元々は連携技であったことの名残であると言えよう。

民明書房刊「氷上の貴公子たち」


57 :水先案名無い人:2006/02/24(金) 19:51:37 ID:P1z+h+wmO
食らえ!!イナバウアー!!!

ってスレが立ってたな。

58 :水先案名無い人:2006/02/24(金) 20:05:09 ID:DBI4IfJX0
>>57
ライデソ「イナバウアーだと!?」
トラマノレ「し、知っているのか、ライデソ?」


否馬迂鞍(いなばうあん)

南宋の遠征軍が冬林能(とうりんのう)の戦いで、大雪によって山中に閉じ込められた際、
武将・史通化(しずうか)が咄嗟に編み出した秘儀。動けなくなった馬から鞍を外しすと、
「否馬迂(馬で迂回することもなし)」と一喝してこれに跨り、上半身を反らしてバランスを
取りながら、氷と化した雪上を敵陣目掛けて一気に滑り降りた。
この奇襲は、相手は雪で動けないと思って油断していた敵の虚を突いて大戦果を上げ、
当代最強といわれた猛将・左車項炎(さしゃこうえん)と崇流通華矢(すりゅうつう かや)を
始め、多くの武将を討ち取る大戦果を上げた。
凱旋後、史通化は宰相・相応晋(あいおうしん)から、「剛にして流れる動き、命をかけて
龍を舵するが如し」と賞賛され、剛流動命舵龍(ごうるどめだる)の称号を授けられた。
しかし、この奇襲戦法には卓越した平衡感覚と柔軟性、度胸が必要であり、この数年後
武将・安道雲(あんどううん)の軍がこれを真似て転倒、戦わずして全滅したのは余りにも
有名な話である。

民明書房刊『戦場の金メダリスト』より


モモタロフ「イナバウアーか…どうやら俺達はとんでもない奴を相手にしているらしい」

59 :水先案名無い人:2006/02/25(土) 03:17:13 ID:D3BwSuMaO
ライデソ

60 :水先案名無い人:2006/02/26(日) 03:35:48 ID:OXDEqTHx0
嵩螺楼夢(すうらろうむ)

中国明の時代、武将・民南牙碗(みんなんがわん)が得意とした戦術。
冬の山中、断崖にある楼閣で休息中、夜盗に取り囲まれた牙碗は、愛馬・頓馬(とんば)
に跨り絶壁を螺旋状に回転しながら降下、積もった雪を巧みに利用して衝撃を殺し、
見事死地を脱することに成功した。
その後、この技は雷飛(らいひ)によって極められ、雪の急斜面を自在に滑走する秘儀・
嵩螺楼夢として大成され、冬季の戦で大いに威力を発揮した。
なお、現在使用されているアルペンという言葉が、さきに挙げた雷飛が圧倒的な勝利を
挙げた亜流遍(ありゅうぺん)の戦いに由来していることはあまり知られていない。

民明書房刊『頭を大回転させるとっさの決断力』より


トリノ入賞記念。

61 :水先案名無い人:2006/02/26(日) 21:28:39 ID:WDeGeunN0
師主富利(しすぷり)

宋の時代、裕福な家に生まれ聡明な一人の男がいた。
科挙に合格し官僚になった男は、ある日公務で農村地区の視察に訪れた。
そこで彼が目にしたものは、病気になりながらも貧困の為に満足な治療を
受けられず死を待つだけの娘、また満足な教育も受けられず過酷な
労働を強いられる子供たちの姿であった。
この光景に心を酷く痛めた男は私財を投げ打ち、貧しい子供達の為の施設
「上流可夢覇有守」(うえるかむはうす)を創設、貧しい農村の子供たちを
無料で受け入れた。
男は子供たちが自立できるようにと教育に力を入れ、毎年多くの科挙合格者を輩出した。
男は財産をすべて施設運営につぎ込んだ為、質素な生活を余儀なくされたが、
男を兄と慕う十二人の娘が身の回りの世話をし、生涯幸せに過ごしたという。
この話を聞いた当時の権力者は、男に「師主富利(師こそ真の富と利益の持ち主である)」
の称号を与え、その美談は全土に広く伝えられた。

なお近年人気を博した「シスプリ」はあくまでも「シスタープリンセス」の略であり、
この故事とは関連が無いことが歴史学者の研究で明らかになっている。

民明書房刊『中国史に見る倫理観の変遷』より


62 :水先案名無い人:2006/02/26(日) 21:45:13 ID:trCV+2y90
>>61
富樫「ケッ、そんなもんまであんのかよ。 もちろん元ネタは知らねえよな? 雷電よ」
雷電「いかにも・・・」

63 :水先案名無い人:2006/02/26(日) 22:28:13 ID:z062Gnw30
>>62
「ふふふ、ここはこの私の出番のようデスね」
「お、お前は男爵ディーノ!?」
「私はちゃんとこの本もチェキしていますデス!」


いえ、なんとなく奴だとこの口調も違和感なさそうな気がしたもので。

64 :水先案名無い人:2006/02/27(月) 01:17:24 ID:uXXlyjJK0
女偉努吉早(めいどきっさ)

明代末期、百年に一度と言われる異常気象が国全体を襲った。
税として納められる穀物も例年の三分の一以下となり、ある領主は
女中に払う給金にも困るほどになった。
給金を貰えなくなった女中達は町に出て仕事を探すが、国全土が
貧しくなったため、思うように仕事が見つからない。
努力の末給仕の仕事を見つけたが、女中達は平時外出を許されて
おらず、奉仕服以外の衣装を持っていなかったため、やむなく屋敷で
使用していた奉仕服のまま接待にあたった。
しかし客から「まるで領家のご主人様になったようだ」と好評を得、店は連日
大繁盛となった。
彼女達の話は「女偉努吉早(彼女達の偉大な努力によって吉が早く訪れた)」
として編纂され、以後商人の必読書として語り継がれていった。

現代における「メイド喫茶」も、この故事を起源としていることは言うまでも無い。


65 :水先案名無い人:2006/02/27(月) 01:19:46 ID:uXXlyjJK0
>>64

民明書房刊『中国の歴史に学ぶビジネス展開とその実際』

出展書き忘れスマソ


66 :水先案名無い人:2006/03/06(月) 09:18:17 ID:2VIZGUKgO
あげ

67 :水先案名無い人:2006/03/06(月) 15:33:52 ID:2mryvpgX0
努急無(どきゅうむ)

世界各地どこを見ても、品行の悪い者は存在する。
そういった人間を、宋では「既知外(きちがい。既知の範疇にないほど非常識な者の意)」と呼んでいた。

ある年の科挙にて、どう血迷ったか科挙に受かることを目指す既知外が、試験の前日から勉強をはじめ、試験を受けた。
が、しかし当然受かるはずもなく不合格であった。
うなだれる既知外に対し、日々努力を重ねて合格したものはこう追い討ちをかけた。
「突然的努力无相等(急な努力は無に等しい)」そこから転じて、既知外のことを「努急無(どきゅうむ)」と呼ぶようになった。

現在、学歴が低い、または知性に乏しい者を指す言葉として「ドキュン」「DQN」というものがあるが、
この故事が原点であることは言うまでもない。

民明書房刊「世界各地のバカ」より抜粋

68 :転載:2006/03/07(火) 08:52:05 ID:/vwNyxHU0
598 Name: <丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん [sage] Date: 2006/03/06(月) 20:47:21 ID: uIt7oAte Be:
    昭イ段(しょういだん)とは

    かつて日本国内に恐るべき必殺拳があった。
    昭和に出来た事から、昭和拳法という。
    この昭和拳法のイ(初)段を極めた者のみが、使える技の総称が昭イ段である。
    その余りの威力に、一度技を繰り出せば、摩擦熱で地は燃え上がり、
    周辺の酸素までも奪っていったという。

    当然旧日本軍もこの威力に着目し、特殊部隊として重慶を初め、各地に送り込んだ。
    しかし旧日本軍の食料は常に欠乏気味であり、
    ただでさえ体力消耗を伴う昭イ段使用者たちは、続々と連合国軍に捕まってしまった。
    この捕虜をアメリカが科学的に分析し、焼夷弾になったのはいうまでもない。

    余談であるが、戦後、アメリカの大統領は、
    台湾に住んでいるジュクチョウと呼ばれる者を除き、昭和拳法を禁止した。

    民明書房 1000キロの拳より

【日中】「重慶大爆撃」で日本政府を今月30日に提訴へ 肉親失った中国人被害者ら[0305]
http://news18.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1141544370/

69 :水先案名無い人:2006/03/07(火) 08:58:02 ID:/vwNyxHU0
603 Name: エラ通信 [] Date: 2006/03/06(月) 20:56:32 ID: bB6+HMNh Be:
    >>598
    聖徳太子が開発した17条拳法とどっちが強い?wwwww

606 Name: <丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん [] Date: 2006/03/06(月) 21:30:30 ID: WMq3o7Ng Be:
    >>603
    十人の敵の動きを瞬時に見切り、その拳は17条の光の矢のごとし。

    「日出ずる国の拳子、日没する国の拳子に掌を 致す、恙なきや」
    とのたまい、中距離弾道弾に匹敵する気功弾をとき放ち隋を
    滅塵させたと言われている。

    民明書房 4000キロメートルの拳より


ワイマール憲法なんてのもあったような気がしますが、まあそれはそれ

70 :水先案名無い人:2006/03/11(土) 16:09:29 ID:WytiyiMY0
38 名前:日曜8時の名無しさん[] 投稿日:2006/03/04(土) 18:03:01.80 ID:g2eqkCkf
■イナバウアー■
イナバウアーはフィギュアスケートの技で、
足を前後に開き、つま先を180度開いて真横に滑る技である。
織田信長の愛馬の因幡馬(いなばうま)が語源とされる。
因幡馬のひづめは通常の馬よりも開き気味であるが、
障害物を乗り越えるときに優美な曲線を描いてのけぞる姿を
人々が「やはり因幡馬。百人乗れども大丈夫」と賞賛した、
とルイス・フロイスが『日本史』に記している。
『日本史』を通じてヨーロッパに広まったことの言葉は
やがて「イナバウアー」という発音になり、
第2次世界大戦ごろまで
優美な雌馬を表現する言葉として使われていた。
これをフィギュアスケートの用語として使い始めたのは
ロシアのフィギュアスケーターだと言われている。
ちなみに、語源の一説としてドイツのイナ・バウアーが
開発したとの説があるが誤り。

民明書房刊『氷の格闘技』より

71 :水先案名無い人:2006/03/11(土) 18:33:09 ID:j3QNVZNlO
百人乗ったら駄目だろwww

72 :水先案名無い人:2006/03/11(土) 18:38:32 ID:ccVXzH6w0
>>70
イナ・バウアーカワイソスwww

73 :水先案名無い人:2006/03/11(土) 18:47:23 ID:EeetJYiF0
某物置も因幡馬に由来しているんだなw

74 :水先案名無い人:2006/03/12(日) 01:06:49 ID:nPzOXhYP0
http://www.excite.co.jp/News/odd/00081141897698.html
民明書房みたいな競技って実際にあるんだな

75 :杉山真大 ◆mRYEzsNHlY :2006/03/12(日) 02:08:52 ID:MxXzOcfV0
パキスタンの喧嘩凧はここ↓でも既出
http://x51.org/x/05/02/0757.php

ちなみに長崎の喧嘩凧・ハタ揚げも元はパキスタンが由来
http://www.nagasaki-np.co.jp/kankou/douga/23/

76 :水先案名無い人:2006/03/12(日) 23:21:22 ID:3PtxIM3R0
>>75
>発表によれば、4歳の少女は屋上で遊んでいる最中に飛んできた凧の紐に喉を切られて死亡、
>8歳の少年2人が凧を拾おうとして車に轢かれそれぞれ死亡、
>また友人と新年を祝っていた青年が毒入りの酒を飲んで死亡、
>10歳の少年が屋上から落ちて死亡し、また他にも車に轢かれて2名が死亡、
>飛んできた凧に喉を切られて1名が死亡、空から落ちてきた流れ玉に当たって1名が死亡、
>凧が電線に触れて男性1人が感電死したとしている。

なんか一人だけ変なのが混じってる気がする

77 :水先案名無い人:2006/03/13(月) 02:54:29 ID:MmPI+bMcO
三人目www

78 :水先案名無い人:2006/03/13(月) 02:58:47 ID:MmPI+bMcO
しかし今どき実弾で祝砲あげる馬鹿がいるのな。

79 :水先案名無い人:2006/03/13(月) 23:01:42 ID:T8gKBRv/0
上錠杯死(じょうじょうはいし)

中国の唐代は、シルクロードを介しての交易が盛んに行われていたのは今更言うまでも無いだろう。
そして、交易で一財を築いた人たちも多い。來武戸吾(らいぶとあ)の捕吏衛(ほりえい:経理のこと)である高府美(えたかふみ)
も、一端の捕吏の身から來武戸吾の長となり、そして一財を築いた人であった。

しかし、次第に唐の国力が低下し、シルクロード交易も廃れ、同業者も次々と交易業を廃業していった。
そんな中でも、彼は資金を擲ちながら交易を続けていった。だが、うまくいく筈も無く、資金もいよいよ無くなりかけていた。
彼は最後の賭けとして、ヨーロッパで流行っている薬、ジュージョ(→和名は上錠という)を目に付けた。
上錠とは、この薬一錠で、底知らずの精力と、底知らずと体力を得られるという魔法の薬である。
早速私財でその薬を輸入、彼は薬湯の要領で、上錠を杯にいれ、水で溶かして飲んだのだ。
しかし、彼は急に苦しみもがきだし、その場で4回回転しながら、倒れ、そのまま息を引き取ってしまったのだ。

実は、上錠は一杯分の水に溶かすことによって、強力な劇薬となってしまうのだ。
高府美は死後、上錠杯死(上錠を杯で飲んで死ぬ)という贈り名で呼ばれたという。
そして、それは同時に、上流企業が不祥事などで上流の呼び名を剥奪される言葉の意味となり、
現在日本では東証一部から外される、「上場廃止」という言葉で伝わっているが、その語源を知る人は非常に少ない。
なお、來武戸吾は高府美の死後、どうなったかは知らないが、一部文献によると、日本へと渡来したとも言われている。

民明書房刊「樹海に逝かない為に。今から出来る百の手段」より抜粋。

80 :水先案名無い人:2006/03/15(水) 00:34:03 ID:kLHPLG200
今田煎月湯(いまだせんげっと)

江戸時代中期、水戸藩の名医であった今田氏によって開発された秘薬。
月見草を煎じて飲むことからついた名前だが、詳しい製法は未だ謎である。
万病に効くとされ、当時の人々は我先にと煎月湯を買い求めたが、原料と
なる月見草の確保が難しく、また製法が特殊なため、1年で1000人分しか
生産できなかったと言われる。
今田氏は多くの人々に平等に薬が行き渡るようにと、台帳を用意し記名した千人に
薬を販売することにした。
台帳の前には多くの人が並び、特に台帳の記名数が900を超える頃には、皆我先にと
「今田煎月湯ー!」と叫びながら台帳へ押しかけ、負傷者が多数出たという。
このように台帳への記入が命がけだったことから、1000人目に書き込んだ者は
人々の尊敬と羨望の的となったのである。

現代においても、インターネットの掲示板に1000番目に書き込むことが重要視され、
「今だ1000ゲットー!」と1000番目の争奪戦が繰り広げられているのは、この習慣
が形を変え受け継がれている証拠といえるだろう。

民名書房刊「日本人はなぜ限定品に弱いのか」より


81 :水先案名無い人:2006/03/15(水) 12:42:43 ID:uNgkzm6gO
上手いな。当て字が自然でよい。

82 :水先案名無い人:2006/03/17(金) 01:42:12 ID:bpYoooCM0
男塾に乗ってたゴルフとラグビーと相撲載せて!

83 :水先案名無い人:2006/03/17(金) 01:48:20 ID:r545dw3TO
呉 竜府(ごりゅうふ)

だっけ?

84 :水先案名無い人:2006/03/17(金) 02:22:47 ID:bpYoooCM0
ぬう、実践で使うのは〜って雷電が言ってたのを覚えてる
あと、ホールインワン連続〜〜って富樫がだれかが言ってた

85 :水先案名無い人:2006/03/17(金) 02:25:25 ID:jWAJHOvc0
>>82
>>8

86 :水先案名無い人:2006/03/18(土) 11:30:10 ID:9OnDn8fq0
趨華流沌(すけるとん)
古代中国の猛将、趨(すう。名は不明)によって編み出されたとされる技。
趨は万里の長城において北方民族の侵入を防ぐために戦っていたが、
その大軍勢に押されて味方は次々に倒れていき、趨一人では支えきれないほどの敵勢が、
万里の長城に群がっていた。
趨はとっさに腰にあった2本の刀を抜き、地面に刃を立てて置くと、
雑巾がけのような体勢で助走をつけ、素早くうつぶせになって乗り、敵陣に突撃していった。
このときのスピードは時速100キロを軽く超えていたといわれ、
長城に群がっていた数万の敵兵はすべからく跳ね飛ばされ、あるいは足の骨を砕かれ、
敵はほうほうの体で逃げ帰っていったという。
このことを聞いた時の皇帝が、趨を「たった一人で、流れるように敵の混沌の中に突っ込んでいくとは、なんと華のある男よ」
と褒め称えた事から、この技は「趨華流沌」と名づけられた。
現代では「スケルトン」という競技が存在するが、これがこの故事を元としていることは言うまでも無い。

民明書房刊「戦場のメダリスト」より抜粋

87 :水先案名無い人:2006/03/18(土) 15:11:15 ID:l//Gx80+0
そのうちほんとに連載で使われそうだw

88 :水先案名無い人:2006/03/25(土) 11:36:45 ID:UvoJ3W90O
sage

89 :水先案名無い人:2006/03/25(土) 18:00:47 ID:Ao2aMb860


90 :水先案名無い人:2006/03/25(土) 22:13:18 ID:Dfqgcl2Z0
偉大なる奥義は書籍化されんのかね。

91 :水先案名無い人:2006/03/26(日) 07:21:54 ID:eUxF2l540
ちょっとシャレにならんのが多すぎるからな

92 :水先案名無い人:2006/03/30(木) 21:11:58 ID:jzDTsdqC0
『唖津』

中国は蜀の時代、世は乱れに乱れ、性の反乱に民衆は慄いていた。
時の皇帝「耶玖挫」は事在るごとに都の若者達を宮殿に拉致し、淫靡な毎日を過ごしていた。
そんな世を憂えた僧侶「偵泥依濡」は弟子の僧侶二人と共に「耶玖挫」を改心させる為宮殿に乗り込んだと言う

「汝、帝に対して無礼なり、裸身と成り暫時四つに這うべし」「四つに這えば我の説法受けようや?」などの問答を経て
「偵泥依濡」全裸にて這う事に。

皇帝、肛門をいたぶり「汝、汚れた穴成り」などと仰せになる。

皇帝の命を受けた弟子達に口淫される、しかし秘伝の真言「唖津ー!唖津ー!」を唱えけり

皇帝に魔羅を見せ、弟子達に肛門を見せ。「我、快感の極地なりや」と悶えながら
魔羅を勃起させる。この後、弟子の一人、真言を唱え「偵泥依濡」に魔羅注入
「唖津、唖津、唖津、唖津!」と「偵泥依濡」魔羅を怒張させ呪文を唱える。

皇帝の魔を払う儀式開始。
魔羅を怒張させ偵泥依濡、皇帝下に敷き魔羅を注入せしや、小刻みに震えし偵泥依濡「唖津ー!唖津ー!夷苦!」
と真言を叫び浄化聖を発射せし。

後に偵泥依濡、野に下り聖穴に経文差し込み三回転の後「椀」と言葉をのこせしたもうたなり。

民明書房刊「嗚呼、夢の大リーグ」より抜粋。

93 :水先案名無い人:2006/03/31(金) 07:33:34 ID:xgdjsQNsO
ちょ

94 :水先案名無い人:2006/03/31(金) 13:23:11 ID:DBi1BAmj0
読めない。。。

95 :長くてスマソ 1/2:2006/03/31(金) 18:22:38 ID:zDClPbBq0
揖斐(いび)

江戸時代流行した、早駆け競争の一種。
塔の麓から頂上まで、油の入った杯を掲げながら登るのが特徴。
流行に伴い各地を巡業したが、勝負の舞台である塔の原型が現在の岐阜県
揖斐川町にあった碕塔(さきとう)であることから、この地方の名を取って揖斐と
言われるようになった。

競争の参加選手が掲げる杯は3合弱(約500cc)の容量と云われており、他を退けるため
に用いる前後計2輪の他嫌(たいや)と呼ばれる輪が付いている。しかしこの他嫌は相当
な重量であり、時には選手自身がそれに振り回され転倒を喫することもある。
転倒の際には、塔の途中にある蔵から蔵衆(くらしゅう)が選手を救助に向かったことから、
転倒すること自体を蔵衆と呼ぶこともあった。

転倒し、杯の油がこぼれると再度油を注入しなければならず、時間を浪費する。
これを杯再度(はいさいど)といい、観衆が大きく落胆の声を上げたという。
また、杯が損傷し油がこぼれるようであるとその時点で競技は続行不可能とされる。
多くの場合、杯が損傷する原因は他嫌が外れることであったことから、競技を続行
できなくなることを離他嫌(りたいや)と呼んだ。

競技中、蔵衆により碕塔の外に放り出されるなどして命を落とす者、再起不能になる
者などが後を絶たず、杯によって苦しみを味わうこともあることを戒めて、この杯は
杯苦(はいく、後にばいく)と呼ばれた。


96 :2/2:2006/03/31(金) 18:24:57 ID:zDClPbBq0
しかし、頂点を極めたものは大きな栄誉が与えられたので、多くの若者がこの競技に
夢中になった。
中でも、江出色烏孫(えでいろうそん)、権威王・呂馬篤(ろ・ばあつ)、手腕通・卦敏
(しゅわんつう・けびん)、上院礼爾(うえいんれいに)、江洲出身の和院賀度那(わいん
がどな)、肉道範(にく・どうはん)など、名勝負を繰り広げたり連覇を成し遂げたりした
者は、特に伝説の選手といわれ尊重された。
また猿顔で知られた馬錬治老師(ばれんちのろうし)は、杯苦製作者の本田某・山葉某
両名の杯苦でそれぞれ数度にわたり頂点を極めた稀有な選手として名が残されている。

12代将軍徳川家慶の頃、こぼれる油などが天保の改革で打ち出された倹約令に反する
と批判の的になったため、競争の参加選手が掲げる杯は5合強(約990cc)の大きなものに
変更された。このため早駆け競争には一層の拍車がかかり、それまで本田某、山葉某、
鈴木某他がしのぎを削っていたところに杯苦の製作から遠ざかっていた川崎某も参入した
記録がある。
但しこの大型杯苦が使われるようになってからは、元々の揖斐とは内容が異なるために
この競技は揖斐を元地にしたもの、元地揖斐(もとじいび)と呼ぶようになったとも云われる。

現在、世界で開催されている2輪ロードレース選手権が2002年にMotoGPと呼ばれるように
なったのは、この日本の古競技に倣ってのことであることは言うまでもない。

(民明書房刊『失われた日本の韋駄天たち』より抜粋)

97 :水先案名無い人:2006/03/32(土) 05:56:17 ID:2KIlB0WD0
>>92
アッー!

98 :水先案名無い人:2006/03/32(土) 19:46:38 ID:Bp9o/vO90
ttp://www.forest.impress.co.jp/yashiro/2006/404_2.html

99 :水先案名無い人:2006/03/32(土) 22:47:47 ID:Wv/W5uua0
916 名前:水先案名無い人[sage] :05/05/04 03:19:48 ID:r+qmdW4o0
突然自殺症候群 (Sudden Suicide Syndrome)

パーティのメンバーの一人、あるいはパーティ全員が、
突如としてすべての装備を脱ぎ捨て、ルドン高原に向かい、全滅してしまう行動症例を指す。
この症例は、皇帝を含むパーティでのみ起こりうることが現在までに確認されている。
全員が素っ裸になりルドン高原に向かう様は尋常でないことは明白だが、
その原因についてはいっさい不明。
一部には、神の意思による決定だと主張するものもいる。

「帝国医学大典」バレンヌ帝国出版(民明書房による復刻版)より


インペリアルクロスという陣形のガイドライン8(帝国暦2750年)
http://that3.2ch.net/test/read.cgi/gline/1106900192/


100 :水先案名無い人:2006/04/02(日) 11:03:02 ID:/Lk8AjhN0
フフフ、このスレも100まで伸びおったか、やりおるわい。ならば・・・





「 わ し が 男 塾 塾 長 、 江 田 島 平 八 で あ 〜 〜 〜 〜 る ! 」





あとは思う存分やるがよい。楽しみにしておるぞ。

101 :水先案名無い人:2006/04/02(日) 13:58:35 ID:WWdqbU+u0
寒気がした

102 :水先案名無い人:2006/04/03(月) 02:07:13 ID:TRmUPf6b0
民明書房一口メモ

突然の寒気が起こるのはなぜだろうか。
それはアメリカのサムが怪我をすることにより起こると言われている。

103 :水先案名無い人:2006/04/03(月) 02:58:36 ID:6yPWXdYG0
>>102
それはあれだな、昔の本のページの端に縦に書いてある、トリビアみたいな奴だな。

104 :水先案名無い人:2006/04/03(月) 04:01:29 ID:TRmUPf6b0
>>103
そうそう、そんな感じw

105 :水先案名無い人:2006/04/06(木) 22:16:09 ID:Nqr+z8Ms0
諦覇民愚(ていはみんぐ)

古代中国、各国の武将が覇を争った戦国時代は、あまたの国が興り、同時に
消えていった時代でもある。それらの国の名が、全て記録に残っているという
わけでもなく、歴史の中に埋もれた弱小国もあった。

ある時、今では名前もわからぬある国にも戦乱の波が押し寄せた。王は俄然やる気で
あったのだが、その国の民はみな怠惰で、そのくせ自己主張だけは強かった。

例えば他人の優れたところを見れば「それは私が始めたものだ」などと言い出したり、
他人の持ち物を「それはもともと私のものだ」などと言い出し、口論となると相手に
謝罪と賠償を要求し、受け入れられなければ癇癪を起こすような民ばかりだった。

結局その国は戦いに破れ、王は処刑される前にこう言い残したという。

「我諦覇民愚故(我、覇を諦むるは民の愚かさ故なり)。」

国の名も、王の名も記録に埋もれてしまったが、この言葉は国の堕落を戒める
言葉として受け継がれていき、漢詩が流行する頃には「我」と「故」が略されて
「諦覇民愚」と記されるようになった。

現代において、大韓民国をハングル語で「テー・ハ・ミン・グ」と発音するのは、この故事が
由来であるという説が、昨今の研究者の間で囁かれている。
彼の国がその名前の通り、愚かな国にならぬ事を祈らずにはいられない。


   民明書房・刊 「国敗れて三倍満 〜戦争と平和(ピンフ)〜」より抜粋。

106 :水先案名無い人:2006/04/08(土) 15:42:29 ID:mNXOoVbt0
出典のタイトルがイイ!

107 :水先案名無い人:2006/04/09(日) 14:12:55 ID:oeVIF0KD0
うさみみ仮面の紹介をおねがい♪

108 :T-34/85 ◆vhqPru36ZI :2006/04/15(土) 00:29:14 ID:y+3tA4si0
    |/ ,'|-、 \\\
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今北産業 [IMAKITA INDUSTRIAL CO.,LTD]      (1918〜 日本)

東京都台東区に本社を置く複合企業  創業者は今北押江朗
戦時中は財閥企業と提携し、航空機の生産にも携わり
あの零式艦上戦闘機の開発、生産にも関わったという国内有数の技術畑を備え
現在も三菱重工や富士重工らと事業提携を結び、AH-64やF-15Jの生産を行っている

また、創業当初から「誰にでも分かりやすい製品作り」をモットーとしており
同じく戦時中に製造に関わった 対空砲の説明書を簡潔にたった3行でまとめるなど
ソヴィエトのAKやT-34にも劣らない構造の簡潔さと信頼性を兼ね備え、前線の兵士達にも好評の企業であった

戦後もこの簡潔さを失わず、できる限りの利便性と簡潔性を追求し3行以内の説明を最大目標とするなど
消費者への配慮は創業当初から失われていない

昨今インターネット上の掲示板において「今来たので3行で説明してくれ」という意味で「今北産業」と発言すると
親切な人が3行以内に(時には3行からはみ出してしまうが)説明してくれるという事象は 
今北産業が誇る技術者達の半世紀以上にわたる努力がネットを利用する若者達の心に届いたからなのかもしれない

民明書房「大東亜帝国の技術を受け継ぐ者達:第3章 F-15〜空の覇者は日本へ帰ってきた〜」 より抜粋 

109 :水先案名無い人:2006/04/15(土) 01:49:21 ID:KZDxCkih0
>>108
オブイェークト!

110 :水先案名無い人:2006/04/16(日) 22:04:00 ID:3n2OXadr0
駒萬道(こまんどう)

漢の時代、皇帝が都市部への交易のため整備された街道であり、駒(馬)が一万通る道になるようにとの理由で
駒萬道と、この道は名付けられた。しかし、いつしか山賊の住処となってしまい、品物が奪われる事件が頻発した。
このままでは交易の妨害になると、皇帝は、李楠(りくす)に山賊退治を命じた。
李楠は、錠機貫(じょうきぬき)と呼ばれる、先端が尖った筒になった刀を所持しており、格闘の名手であった。
彼は単身駒萬道に乗り込むと、山賊の部下を次々と切り倒していくも、山賊の頭、米禰唐(べねいと)の罠に掛かり、
牢に閉じ込められてしまう。しかし、彼は自らの拳で牢を破ると、そのまま錠機貫で米禰唐を突き殺した。
錠機貫で貫かれた米禰唐の死体は、岩に深々と突き刺さったまま、朽ちていったという。
李楠の功績に大層喜んだ皇帝は彼を特殊部隊の隊長に任じたいと申したが、彼はその申し出を断り、飄々と去っていった。


1991年。アーノルド・シュワルツネガーが出演した映画に「コマンドー」というのがあるが、その主役の名前が、
メイトリクス。そして悪役の名前がベネットであり、更に、ラストシーンでメイトリクスがベネットを殺すシーンで、
ベネットを突き刺したときに使っていた武器が李楠の使っていた錠機貫と形状が似ている。
(また、そのシーンは一部ファンの中で、蒸気抜きと言われている)
この事から、監督がこの故事を元に、この映画を使ったのではないかと言われているが、その真相は分かっていない。

民明書房刊 「B級映画バンザイ 第2章〜ハルオちゃんVSシュワちゃん編」 より抜粋

111 :水先案名無い人:2006/04/18(火) 23:24:21 ID:so/QRd0J0
流藩鑽井(るぱんさんせい)

春秋戦国時代、流藩(るぱん)と呼ばれ特定の土地に定住せず各国を流浪する旅芸人
の一族があった。その彼らがある国に立ち寄ったとき、誰も住まない荒れた土地に
定住したいと領主に願い出た。住む者もいないのだから、と領主は快く定住を許可
した。その後ほどなくして、流藩たちが井戸を掘り当てたとの知らせが領主の耳に
入ると、領主は「流藩鑽井(流れ者が井戸を掘った)」と言って後悔したという。
この故事から、思いがけず現れて大儲けするものを「流藩鑽井」と呼ぶようになった。

現代日本にルパン三世という大泥棒が活躍する人気漫画が存在するが、不思議な一致
であるという他ないであろう。

なお、流藩の歌舞の中で「流藩大舞(るぱんだいぶ)」と呼ばれる大技は、空中高く
跳躍して衣装を脱ぎ捨てる、現代で言う早変りに似たものであったと伝えられている。

民明書房刊「中国舞術大全」より抜粋

112 :水先案名無い人:2006/04/19(水) 00:37:10 ID:HdLIBWm80 ?
昆破射屡 (こんぱいる)

織田信長の指揮する勢力の中に昆破射屡という勢力があった事はあまり知られていない
事実である。昆破射屡の指揮者である無宇丹衣峪(むうにいたに)は不世不世(ぷよぷよ)という
一撃必殺の戦闘法を編み出し、一躍諸武将の中に名を連ねるほどの実力者へと躍り出た。
この不世不世という戦闘法は、相手の脳天をかち割り戦闘不能にするものでこの不世不世を
受けた者は脳味噌が粉々に粉砕した事から「脳味噌粉祢粉祢、婆端窮也(のーみそこねこね、ばたんきゅーなり)」と言われ
恐れられた。

この不世不世は亜瑠瑠那邪(あるるなじゃ)や瀬造宇伊虞伊井(しぇぞうぃぐぃぃ)、
努羅弧剣汰宇炉州(どらこけんたうろす)といった有力な武将を数多く生み出した優秀な戦闘法として名を馳せたが、
この不世不世を金儲けの為に乱用した無宇丹衣峪に各武将たちが愛想を尽かした事から昆破射屡は没落し、
丹衣峪一番の側近であった亜瑠瑠まで昆破射屡を脱退してしまい、昆破射屡は内部崩壊してしまった。

なお落ちものパズルゲームの「す〜ぱ〜ぷよぷよ」シリーズはこの無宇丹衣峪の故事を参考にして
製作された事はあまりにも知られていない事実であった。

民明書房刊「日本の産業界から歴史を学ぶ」より抜粋

113 :水先案名無い人:2006/04/20(木) 20:05:30 ID:LbtJT1u70
転載

温裸淫寡寺乃(おんらいんかじの)

明代中国の商人・金梨訓は、大変な働き者で有名で、一年で二年分働くと言われた。
彼はたちまちに成功を収め、25歳にして大旦那と呼ばれる身分になった。
しかし彼は事業の拡大にあたり、温裸淫寡寺乃(おんらいんかじの)という、一種の風俗業に手を染めたため、
当局に目を付けられ、最終的にお取り潰しとなった。
この時金梨訓は、「真自出汚主須迷(まじでおすすめ)」(意:自分がこのような汚れた主人となったのは、須らく迷いから来るものだ)
という詩を残し、出家して僧となった。

余談ではあるが、現代において去年から始めたにも関わらず二年で財を貯めた者が、
マジでお勧めしてくる現象がしばしば見られるが、
これはこの金梨訓の戒めを現代に伝えようとするものであろう。

民明書房刊「時を超越する25歳」より

114 :水先案名無い人:2006/04/20(木) 22:40:18 ID:4hHBT1vS0
発死音(ぱっしょん)

特定の周波数の音波によって人間の延髄が破壊される、という驚愕的な実験結果が先日、
ネイチャーに掲載された。実は古代中国において、この科学的大発見がすでに拳法に
応用されていたのではないか、と中国の歴史学者が大胆な仮説を立てている。

戦国時代、趙国は匈奴に攻められ、未曾有の危機に立たされた。国王は矢羅(やら)を
司令官に任命し、趙長城で侵攻を食い止めるように命令した。矢羅は拳法の達人で、
怒鳴り声だけで人を殺せる、とまで言われていた。
果たして、矢羅は長城の上に一人たたずみ、雲霞の如く攻めて来る敵兵に向かって
「無ー! 無ー!」と鬼の形相で一喝すると、敵兵は次々に口から泡を吹いて死んでいった。
国難を退けた功績により、矢羅は国王の地位を禅譲された。戎を罵って倒したことから
戎罵帝(えびばでい)と呼ばれた。その後、他国との戦いにおいても、戎罵帝自ら先陣に立ち、
敵を罵り殺していった。司馬遷は史記に繰り返し「戎罵帝発死音(えびばでぃぱっしょん)」の
一節を書き綴っていることからも、その威力の凄まじさが窺える。

なお、日本の芸人パッション屋良が、発死音の故事に習った笑いネタを披露しているが、
彼が本物の発死音の使い手なら、今ごろ日本は屍で埋め尽くされているに違いない。
民明書房刊『音楽と医学』より

115 :水先案名無い人:2006/04/21(金) 18:14:04 ID:iuhofmKx0
>>114
面白い

116 :水先案名無い人:2006/04/26(水) 17:33:41 ID:keBVfztp0
ゴルフの起源は中国=古代のクラブ復元 (時事通信)
ttp://news.www.infoseek.co.jp/topics/sports/golf.html?d=060426jijiX814&cat=1&typ=t

【北京26日時事】中国ゴルフ協会は26日、現代のゴルフに相当する同国古代のスポーツ「捶丸」で
使われていたクラブ、ボールを復元し、北京の人民大会堂で公開した。
ゴルフの起源は、英国ではなく中国と主張するもので、2008年の北京五輪開催を控え、
中国におけるスポーツの伝統の厚みを強調するのが狙い。

117 :水先案名無い人:2006/04/26(水) 17:37:47 ID:VthA/i0mO
>116 同じことしようとしに来ますた。

118 :水先案名無い人:2006/04/26(水) 19:12:35 ID:AKet/o8zO
>>117
同じく。

119 :水先案名無い人:2006/04/26(水) 22:35:23 ID:UuxhnnAc0
えーい次はわしが貼るんじゃー!!
なっ何ーっ>>116!!!

120 :水先案名無い人:2006/04/26(水) 22:44:22 ID:M8jwuOhh0
エロパロ板シスプリスレで発見。

34 名前: 名無しさん@ピンキー Mail: sage 投稿日: 06/04/26(水) 22:05:38 ID: bJ+bm3MS

ヒント:シェイクスピア

35 名前: 名無しさん@ピンキー Mail: sage 投稿日: 06/04/26(水) 22:33:57 ID: H21vG3Gt

「ぬうッ、あれぞまさしく英国王室奥義、シェイク・スピアー!」
「知ってるのか、春歌?」
「うむ」

 シェイク・スピアー
 その起源は古くアーサー王の時代にまで遡ると呼ばれる。
 手にした槍を高速で回転させながら、相手の着ている甲冑の
隙間にねじり込み、その肉体を貫くという恐ろしい技である。
 文豪シェイクスピアの正体がフランシス・ベーコンであるとい
う説があるが、これは文人であり貴族でもあったベーコンが
この奥義シェイク・スピアーを会得していたからだというのが
その理由である。

  民明書房刊「電撃武術マガジン」より抜粋

「四葉ちゃんがあんな技を会得していたなんて!」
「きっとあの指さばきでお兄様のモノを扱くのね!」
「黙れ(ry

121 :水先案名無い人:2006/04/27(木) 02:14:51 ID:iG1piv670
富樫「なにぃ!魅羅玖琉螺印だと!?」
雷電「ぬぅ、まさかアレが伝説の」
虎丸「知ってるのか雷電!?」

魅羅玖琉螺印(みらくるらいん)
「商店における霊死偉吐(れしーと)の紙がもうすぐ無くなる」という
注意の意味が込められた両サイドの赤いラインの始まりと終わりの部分を指すという。
長い霊死偉吐印紙の中でも僅か2箇所しかないうえに、赤いラインが出るか、出る前に
零磁(れじ)が警告音を出した途端に交換してしまう人が多く、
さらには警告音後の意味不明な紙消費が奪ってしまう事もあり、
魅羅玖琉螺印を手にする者は数百人に数える程しかいないと伝説になっている。
民明書房館 「嗚呼、辛く険しいレジ入門」第7章より

122 :水先案名無い人:2006/04/27(木) 05:46:13 ID:ONX6kZHJ0
121を読んで両端に赤い線の入ったレシートが貴重に思えてきたから困る。

123 :水先案名無い人:2006/04/27(木) 23:55:14 ID:sVVD8E0N0
■■■ビルメン王決定戦2006■■■
http://money4.2ch.net/test/read.cgi/recruit/1137287163/166-167

『美流面(びるめん)』
明朝末期、政治の腐敗により世は大きく乱れていた。
町は犯罪者やならず者の巣窟と化していた。
しかし、次第にその者たちの中で真っ当な職を探すものが出始めた。
彼等は町の至る所にある人間や家畜の糞便を集め、肥料として売ることを思い付いた。
朝廷は素手で糞便を集めることが出来る彼等を見て驚き、この仕事を強く推奨した。
良質の糞便を見分ける能力を身に付けた者の中には、富豪や貴族に雇われる者もいたという。
しかし、彼等は元々ならず者でありその風貌は醜く、知的レベルも低かった。
そのため、上流階級の人間たちは彼らが自分たちと同じ屋敷にいることを非常に嫌った。
そこで屋敷に地下室を造り、必要以外はその部屋から出ることを堅く禁じた。
また、彼等は糞便の汚れを川で洗う際に、汚れと共に人間の美しさも流していると嘲笑された。
そのため、美しさを流してしまった面々という意味で美流面と呼ばれていた。
現代日本において、ビルのメンテナンスを生業とする者をビルメンと呼ぶが、
これはビルメンテナンスの略語ではない事は賢明な読者の推察の通りである。

( 民明書房刊 「美しさを捨てた美しき職業 糞便手掴み美流面」 より )


『美流面王(びるめんおう)』
美流面については先述の通りだが、美流面の中には恐ろしいまでに才能を持った者たちがいた。
糞便を見ただけで即座に女性のものと判別し食してしまったり、
糞便と共に捨ててある生理の血を拭き取った布を集める者もいたという。
また、働いている屋敷にある物を盗んだり、女性の排泄している姿を盗み見て喜ぶ者など、
常識を遥かに越えた美流面を尊敬と畏怖の念を込めて美流面王と呼んだ。
その武勇伝は瓦版に載り中国全土へ瞬く間に広がったという。
しかし、武勇伝だけが語り継がれ実際に美流面王たちの姿を記録した文献は発見されていない。
近年では美流面王は伝説であり、実在しなかったと主張する歴史研究家も少なくない。

( 民明書房刊 「美しさを捨てた美しき職業 糞便手掴み美流面」 より )

124 :水先案名無い人:2006/04/28(金) 12:19:32 ID:ZlYmf0XpO
>>114
クソワラタ

125 :水先案名無い人:2006/04/29(土) 17:04:20 ID:7QVv28Ff0
>>120
なお、彼の出身地として有名なStratford-upon-Avonの名を取って
彼はエイボンの騎士と称されていたが、この奥義によって倒された相手は
彼に恨みを込めて「Avon!」という断末魔の叫びをあげたという。
現在ネット上などで、抹消・死亡などの意味で用いられる「あぼーん」が
この叫びに由来することは言うまでもない。

126 :水先案名無い人:2006/04/30(日) 14:39:45 ID:arpy1s1r0
348 名前: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします [sage] 投稿日: 2006/04/30(日) 00:27:29.47 ID:/0Wp227R0
大河馬蛙夢 たいがばあむ

中国が後漢の頃、大河(黄河とされている)の近くに千里を走ると言われる名馬があった。
だが、その馬の才能を見抜くものは居らず、馬は日々退屈な日々を送っていた。
ある日、馬は大河を泳ぐ一匹の蛙を見つけた。その蛙は実に生き生きと河を泳いでいた。
そして、流れに流され、かなたへと流れていってしまった。しかし、馬はその生き生きとした様を見、
いつしかああ(生き生きとできる)なりたいものだと夢を見るようになった。
この事から、才能を持つのにそれを見出せない人のことを、大河馬蛙夢と呼ぶようになったのである。

現代に存在するタイガーバームは、この故事の意味を引用し、『選手達が生き生きと全力を出せるように』
という意味をこめてつけられたという。

民明書房刊「文明の変容 中国・漢」より


127 :水先案名無い人:2006/05/06(土) 02:53:30 ID:ihy48vOqO
釈尊(シャクソン。釈迦の尊称)の傍らには、「十大弟子」と呼ばれる弟子たちが常に侍っていた。
その一人、目蓮(モクレン)は神通第一として知られるが、その力とはいかなるものであったのだろうか。

彼は釈尊の身体、特に事故や怪我に関する注意を常に怠らなかった。
ある日、山奥の庵にて説法を行った釈尊は、思いがけず時間が長引いてしまったことに気付いた。
ちょうど秋口にさしかかった時季であり、日没も日に日に早くなっていたのである。
あたりはすっかり闇に包まれ、一行は漆黒の林の中を歩いて帰らざるを得なくなった。

道中、待ち構えた危険にいち早く気付いたのは目蓮であった。
野生の猪が暗がりの向こうに身を潜めている事をその通力で感じ取った目蓮は、
釈尊の歩を止め猪の突進を回避せしめたのである。
いや、釈尊の足自体は確かに前へ前へと進んでいた。
しかしながらその体は滑るように後ずさりしてゆくではないか。

思うように進めぬ不思議な様子から、この神通力は後に「悶往駆(モンオウク)」と呼ばれ、
以後さまざまな場面で用いられるようになる。

その一方、目蓮は「地面に対して斜めに立つ」、「鼻がもげたように見せる」などの
過激な悪戯をしでかす事もあり、しばしば釈尊にたしなめられた。

128 :水先案名無い人:2006/05/06(土) 02:57:09 ID:ihy48vOqO
釈尊が入滅すると、弟子たちはまとまりを失い、たびたび意見の衝突が見られるようになった。
時には掴み合い、殴り合いに発展する事もあり、その様を民衆は深く嘆いた。
この「涅槃乱闘(ネハンラントウ)」は『大人気なく、幼児のような人物』を指す言葉として定着したが、
やがてその意を変容し、『いつまでも童心を忘れぬ若々しい人、またそうした人々が住む土地』を指すようになった。

ばらばらになりかけた弟子たちを団結させたのは、歌と踊りであった。
舞踊を得意とする者五人を集めた「釈尊拝舞(シャクソンハイブ)」は各地を巡業し、
読み書きの出来ぬ人々にも分かりやすく仏の教えを普及させていったのである。


民明書房刊「舞いける釈尊」より

129 :水先案名無い人:2006/05/07(日) 22:19:01 ID:L8G2S0CL0
元ネタがしっかりしすぎてて民明らしさが落ちるが
うまく加工したものだと感心する

130 :水先案名無い人:2006/05/08(月) 13:27:35 ID:/ZCzIo/A0
名無しさん@恐縮です :2006/05/07(日) 17:04:25 ID:U9v2PQ7o0
阿都一(あつ・はじめ)
(明治32年〜昭和8年)

小説家。いわゆるエロ・グロ・ナンセンスと呼ばれる頽廃文学が流行した昭和初期に活躍した。
阿都の描く世界は一貫して男と男の禁断の恋であった。また自らの男色性向も、著書『宇浦の佳い男たち』の中で明かしている。
現代と比べ厳格な時代であった戦前においても阿都の作品は隠れ男色家のファンが多く、妻子に隠れ密かに購入していた者も少なくなかった。
しかし、阿都の作品に影響された近衛師団長・小早川大佐が、師団本部で男色の宴を催すという不祥事が露顕するに至り、
阿都は特高の監視対象者となり、作品は発禁処分を受けた。
苦し紛れに、ペンネームを「アツ一」などとしたが、ごまかせようもなく、昭和8年11月、貧困のうちに肛門裂傷で死去した。
現代の男色家たちが、行為中に「アッー!アッー!アッー!」と嬌声を上げるのは、阿都へのオマージュの意味も込めている、
と評論家・山川純一氏は語っている。

民明書房刊「阿都一全集 第1巻『糞味噌四十八手』」あとがきより


131 :水先案名無い人:2006/05/08(月) 17:23:15 ID:HuYAuW+h0 ?
>>130
前スレの>>839で既出だぞゴルァ

おまえここは初めてか?力抜けよ。

132 :水先案名無い人:2006/05/11(木) 13:20:52 ID:UHdDhcWk0
晴々勇快(はれはれゆかい)

中国では古来から、気功を使ったトレーニング技術が盛んであった。
自然の力と共に自らの力を鍛え上げる技は、軍を鍛える方法としても抜群の効果を持つ。
特に、戦国時代の秦の武将、葉琉飛(はるひ)の方法は、秦を数多くの戦いで勝利に導かせ、
秦の天下統一に大いに貢献したと、いわれている。
その方法は至極単純であり、快晴の日に、空の下で舞を踊るだけである。
そのわずか1分ほどの舞が、秦の兵隊に勇敢さを与えた。その力は、例え魔術や妖術すらも弾く程であり、
あらゆる戦いに、快いほどの勝利を得る力になったといわれている。

なお、この踊りを再現したといわれている映像があるので紹介しよう→ttp://www.youtube.com/watch?v=4YjTi4H5YnM&search=%E3%83%A6%E3%82%AB%E3%82%A4

民明書房・OOE団(男塾を 大いに盛り上げるための 江田島平八の団)共同刊
「ただの一般人には興味なし。超人・変人・奇人・超能力者は男塾に来い!」より抜粋


133 :水先案名無い人:2006/05/14(日) 02:55:38 ID:VOBDFfo40
嗚倭雷有竜虎鬼子(おわらいうりゅうとらくいず)
中国に伝わる日本が源流の説話。魏志倭人伝の原本から発見された。
それによると、当時の日本の中の王国のひとつ「枇夷斗(びいと)」で行われた
祭礼は家臣である「多気士(たけし)軍団」や近隣の国の馬通武羅(まつむら)国、
出雅倭(でがわ)国、駄恥王(だちおう)国などの王が出席して、繰り広げられた。
各々の王は己の勇猛果敢ぶりをアピールする為であったが、枇夷斗国王は自国の
民衆の娯楽を満たすため、様々な仕掛けを凝らした。
特に強く記述されているのは馬車上昇下降科挙といわれるもので不正解の馬車は
海に沈められてしまうという過酷なものだった。また、駄地王国の宇恵視馬(うえしま)
と奇耶殷(きやいん)国の兎奴(うど)の二人による人間鳥科挙は不正解の場合、
てこのようなものですっ飛ばされるものだった。この二人はその時、全裸になって
鳥になったと記述されている。なお、生死は定かとなっていない。
また伊出楽清(いでらくきよ)国王は己が体を金の像にしたり、全裸になった所を
皇女などにさらされるなどの痴態をしたとされる。

このあまりに常識を超えた祭礼はたちまち倭国各地で有名となった。魏志倭人伝の原本の
記述には「倭国で国王たちの悲鳴の雷が鳴る。竜と虎が空を舞う」などと書かれている。
文章の閉めに「まさに倭国は鬼子(クイズ)」と閉められている。

日本で伝説となっている「お笑いウルトラクイズ」の過激さを見るにつけ、この祭礼を
思い出すのは筆者だけではあるまい。余談ながら、日本の歴史にある倭国大乱は
実はこの嗚倭雷有竜虎鬼子(おわらいうるとらくいず)であると言う説が学界を騒がせている
が、真偽の程は定かではない。

(民明書房刊「新説!魏志倭人伝〜人間性科挙・鰐科挙・指撃ち科挙より抜粋〜」)

134 :水先案名無い人:2006/05/17(水) 08:48:26 ID:7uFtHbqK0
嘆 夜嗚(たん やお)

万里の長城が築かれる数百年前、都において奇怪な遊びが流行した。
直方体の石に様々な模様を彫り、それらを組み合わせることにより
その芸術性を競い合うものであった。後に麻雀と呼ばれることとなるこの
競技を当時は、「魔味暗(まあじあん)」と呼んでいた。

組み合わせは幾通り、いや、幾千ともあったが、その中で最も美しいと
言われる組み合わせは「厄万」と言われ、これを作ってしまうと幾万もの
厄が憑り付くと言われ、外見とは裏腹にその存在は忌み嫌われていた。

ある時、都で一番冷血な表情とされている男が、あと少しでこの「厄万」を
完成しようとしていたが、厄に憑かれるのがイヤなその男は、
「ああ、この厄に憑かれてしまっては、夜な夜な田舎に残してきた母を思い
 大声で悲鳴を上げてしまうであろう。」と思い、芸術性を捨て、自分を殺し
「嘆・・・夜・・・・・・鳴」と、喉から搾り出すかの如く、その声を出した。

見た目は芸術的なその組み合わせ、模様ではあったが、自分のためのみ
ならず母を思うその心は全ての人々に感動を与え、大陸全土にその名を
知らしめることとなったのである。

なお、現在のルールにおけるタンヤオはもっとも安い1翻役であるが、これは
厄万と正反対の位置を意味することであるというのは、意外と知られていない。

          (民明書房刊「超・頭勘〜論より証拠を見せたげる!」より)

135 :水先案名無い人:2006/05/17(水) 09:19:10 ID:bJIKvPG2O
OOC団わろた

136 :水先案名無い人:2006/05/17(水) 13:26:30 ID:bFClLKcUo
>>134
論より証拠〜ってスーパーリアル麻雀P2か。
懐かしいな。

137 :水先案名無い人:2006/05/17(水) 18:37:19 ID:a0FtrqWY0
昔の人は本当に凄いよな

138 :水先案名無い人:2006/05/18(木) 00:32:59 ID:5plsSutT0
829 :Trader@Live!:2006/05/17(水) 21:27:41.46 ID:24bxsAep
すまんがちょっと教えてくれ
>アメリカのYahooでサーチをかけてもそれらしい人物がヒットしません。
>いわゆる「ワロス曲線」は間違いなく実在していますが、
>William Wallos 博士は実在する人物なのでしょうか?
>よろしければネタ元をお願いします

こう言われたんだがワロス博士って
ネタってことでFA?

こんなこと言ってる人いたぞw責任とって民明書房の元ネタはってけれw


139 :水先案名無い人:2006/05/18(木) 00:40:50 ID:m48DpVpL0
東亜で見た気がしたけど、これも市況板から来たみたいね

68 名前:Trader@Live![sage] 投稿日:2006/03/19(日) 22:27:48.62 ID:XZYYOnjO
* ワロス曲線のとは何か? *

米国・ミスカトニック大学の形而上金融工学部教授、
William Wallos 博士が提唱した、形而上学的な通貨変動現象を差す。

教授の学説によると、
「1・準先進国程度の市場規模があり
 2・しかし先進国ほどの通貨準備量がなく、政府による効果的な介入が難しい、
という条件を満たす国の為替相場において、
潤沢な資金を背景としたヘッジファンドの投機的な通貨買いが行われると、
このような国は姑息的介入しか行えないため、
その国が設定した介入デッドライン付近で為替レートが小刻みに振動すること」
と定義される。

このような為替レートの変動曲線のことを、発見者の Wallos 博士の名を取って、
Wallos 曲線または WW 曲線と呼ぶ。
日本ではワロス曲線と呼ばれることが多いが、
Wallos 博士本人の発音に近いのは「ウォーロス曲線」である。

尚、中国では、このワロス曲線の事を、「藁 曲線」若しくは「火病曲線」
と翻訳されており、関係者の論争を巻き起こしている。

民明書房・刊「特定東アジアの破綻」77頁より抜粋

140 :水先案名無い人:2006/05/18(木) 00:43:22 ID:m48DpVpL0
これも一緒に拾ったからついでに。ウプレカススレの方がいいかもしれんが。

         巛ミヾヾ  \
       /   ミ     ヽ
       f,    ミ       }
     ┏v'┳_━━━ r、    |
     yバノ゙’' ̄ '''  } }゙    }
     ‘ーj`'    :  //   /
      L_ヽ  i  V   /
     ("  ` !      _/
      \ _,. -‐ '  ̄  !_
      /|~   /  ̄    \
     ウィリアム・ワロス[William Wallos]
         (1955〜 アメリカ)

141 :水先案名無い人:2006/05/18(木) 01:03:46 ID:2KFSmjE70
銃道(じゅうどう)

この世界には、あらゆる道具を使った格闘の術が存在する。
現代におけるスタンダード射撃武器、銃を使った格闘技も例外にあらず。
銃を流れるように操りながら、敵をばったばったと薙ぎ倒していく映像を見て、憧れた少年少女等も多いだろう。
実は、この銃を使った格闘術には元祖というのがある。時を遡る事、明代後期。
西洋の主要武器であった銃が中国にも流れてきた時であった。
その西洋人が持ってきた銃は大層珍しいものであり、当時の中国では強盗による強奪事件も多発していた。
当時の銃は、撃つのに時間がかかり、なおかつ隙を要したため、その隙に接近され、斬られる事が多かった。
その欠点を改善しようと考えたとある気功格闘家は、気の力で弾を撃てないかと研究。
やがて、様々な試行錯誤を繰り返し、ついに弾を使わずに銃を撃つこと。銃から閃光のみを放つこと。
何もないところから閃光と音と弾を放ち、攻撃することの技を編み出すことに成功した。そして彼はそれを銃道と名づけた。
だが、それらは気功格闘家だからこそ出来る訳で、一般格闘家にはできない芸当であった。
やがて、歩調に合わせながら銃で敵を打ち倒す格闘術や、音に合わせて敵の攻撃を掻い潜る格闘術などが完成し、
人並み外れ過ぎた銃道は中国では流行る事は無かった。

なお、銃道らしき術が江戸時代の日本で使われていたという実証映像があるので紹介しよう
→ttp://www.youtube.com/watch?v=xo7Cp3GsyxQ&search=musashi


民明書房刊 「世界トンデモ格闘術〜CG・ワイヤー・スタント・早回し一切ありません!」より抜粋

142 :水先案名無い人:2006/05/19(金) 10:35:52 ID:4MB88H+8o
>>141
ガン=カタに繋がるのかと思った。

143 :水先案名無い人:2006/05/20(土) 22:29:43 ID:cC4oA6cP0
http://ex13.2ch.net/test/read.cgi/gline/1143427439/628
竜騎士のガイドライン 8カイン目の裏切り

628 :水先案名無い人:2006/05/02(火) 10:35:20 ID:2JABG+Nw0
「なにー、また裏切るとは!」
「ぬぅ、この竜騎士の行動は…」

夏殷(かいん)

「夏」「殷」ともに中国古代の王朝名だが、
「裏切りを繰り返す者」という意味で用いられる成語でもある。

中国最古の王朝といわれる夏。その最後の王である桀は暴虐で、
これに対して商(殷)王朝の創始者となる湯王が立ち上がった。
湯王の家来に隆貴支(りゅうきし)という武将がいたが
戦いの序盤に夏に寝返り、しばらくすると湯王側に戻ってきた。
しかし程なくして再び裏切り、戦いの終盤になってから湯王側に落ち着いたのである。
この戦で夏は滅び商王朝が興るわけだが、その際に隆貴支は戦乱時の軽率な行動を咎められ
反省の意を込めて山篭りしたという。
後に商が殷と呼ばれる頃には、人々は隆貴支の行為を元に裏切りを重ねる者を指して
「夏殷(夏と殷を渡り歩いたの意)」と呼ぶようになった。

余談だがあるゲームに、裏切りを繰り返すカインというキャラクターが登場するが、
それは夏殷に由来していることは言うまでもない。

民明書房刊「裏切りの戦乱史」より

144 :水先案名無い人:2006/05/21(日) 01:28:44 ID:4Mg/sQo+0
朝津婆(あさづばあ)

美濃国・紋田(もんた)の地は、強力な僧兵を擁する随無院(ずうむいん)と富士家の有力な家臣であった大塚氏の争いに巻き込まれ、訪れる人もない寒村に成り下がっていた。荒廃ぶりを憂いた村の長は、民間療法で知られた老女・朝津(あさづ)を村に招くことにした。
詐欺師と罵られることもある朝津を招くことには反対も多かったが、村の長は自治の獲得のために押し切った。
初めは怖いもの見たさで村に立ち寄るものが多かったが、朝津は巧みな話術で旅人を楽しませ、評価を高めていった。
やがて、村には朝津の話を聞こうと人々が押し寄せるようになり、紋田は中立地域として自治権を獲得した。

この故事に倣い、「テコ入れの為にやってきた怪しげな人物」のことを朝津婆とよぶようになった。TBSが朝の情報番組に「朝ズバ」と名づけたのも、勿論この故事を下敷きとしている。

民明書房刊「地方新時代〜人材招聘で地方が変わる」より

145 :水先案名無い人:2006/05/21(日) 02:18:01 ID:9W10MXIc0
>144
>民明書房刊「地方新時代〜人材招聘で地方が変わる」より

ずいぶんと民明らしくないマトモそうな本だなw;
でも出来は良いと思う。

146 :水先案名無い人:2006/05/21(日) 22:14:46 ID:SYeGoA/C0
美射美射(びいびい)

(1)平安時代後期に見られた牛車。詳しい形は下記を参照。
(2)下記の故事より転じて女子を誘い入れる事。軟派

まだ移動の手段が牛車であった平安時代の日本においては女子は男の牛車を見て、
ステータスを見極めていた。紫式部の時代は姐唖裸(そあら)と言われる形が主流で
それらの牛車に乗るものは夜這いをかけられる確率が高い事から、這姐家(はいそか)
といわれた。平安時代も時代がたつと、それらの這姐家が廃れていった。その後、
時代の変化と共に牛車も質素なものとなったが、その中で豊田という牛車職人は
若手の職人を集めて、それぞれ自由な発想で牛車を作らせたところ、真四角の素っ気無い
物が出来た。牛車と言えば、キャビンのところが非常に高いものであったが非常に低い位置に
あったりと牛車としては異例であった。それを売り出したところ、若い貴族に大うけとなった。
中には雅楽隊を車内に乗せるもの、広い室内で行為に及ぶものと若い貴族はこぞってこれを買った。
彼らは皆、女官との密通を目当てにこの牛車を思い思いにカスタマイズしたが、低いキャビンと
意外に優れた実用性を好んで、年配の貴族も好んでこれを愛用したと言われる。

なお、トヨタ自動車が発売しているbBの由来がこの美射美射に由来することは言うまでもない。
余談ながら、アメリカ大陸でも同じような馬車の存在があり、日本から来たと言われる西園寺定兵衛
(さいおんじていべえ)という職人が作ったとされ、そのデザインが件の牛車と酷似しているが、関連性は
定かではない。

民明書房刊「日本風俗辞書〜ひの項〜より」

147 :水先案名無い人:2006/05/23(火) 18:29:54 ID:rZei64b+0
朱楓(すぷう)
明の国に俳傳賞子(はいだしょうこ)という大層美しい女性がいた。
彼女はただ美しいだけではなく、教養もあり、舞も歌にも才能があった。
また、その優しさから子供からの人気も高かったと言われている。

だが、彼女はたった一つ苦手なところがある。それは、絵画の才能が悲しいほどに無いのだ。
彼女が母山塔市省(かさんといっしょう)という郡に巡礼に来たとき、その郡の守り神といわれてる朱楓(すぷう)
(参考→ttp://www.hiroiro.com/images/supu_gucyoko.gif)
を歌に乗せて描いたが、描いた絵の余りの禍々しさに見学者一同を卒倒させたと言われている。
明代の歴史書には見学者が卒倒した理由は、余りの歌の美しさに失神したからと言われているが、
本当は、描いた絵の禍々しさが原因だったというのは紛れも無い真実である。

俳傳の一族は、その後の戦乱で散り散りになってしまったが、その一部が日本へと渡ってきたとされている。
その決定的証拠をお見せしよう→ttp://www.youtube.com/watch?v=R-fjqo3dNhg&eurl=

みんめい子供書房刊「よいこのための中国史その3」より抜粋

148 :水先案名無い人:2006/05/23(火) 18:53:30 ID:9A/OHwkD0
>>147
早いなw

149 :水先案名無い人:2006/05/23(火) 23:01:32 ID:tcy9tABP0
己素封麗(こすぷれ)

時は戦国時代、「己素封」(己の素性を封じ込める、の意)と呼ばれる技が密かに
広まっていたのはあまり知られていない。
「己素封」は、敵国の兵士や町民の姿に扮して内偵活動を行う技を指すが、
単に変装するだけではなく、完全に敵国の人間になりきることが求められ、
自分の素性を悟られないよう、高度な技術を必要とされた。
やがて戦乱の世も終わり、「己素封」も次第に消えていくと思われたが、普段と
違う自分になる快感を忘れられぬ一部の己素封使いは、天下統一後もさまざまな衣装
を纏っては己素封の技を磨き、やがて変装の麗しさを競う「己素封麗」へと発展した。

現代においてもアニメやゲームのキャラクターに扮する「コスプレ」に興じる者が
後を絶たないが、その起源は「己素封麗」にあることは言うまでも無いだろう。

民明書房刊「戦国日本に見る大衆文化史」より


150 :水先案名無い人:2006/05/25(木) 21:48:17 ID:3ZNBmkDp0
http://tv7.2ch.net/test/read.cgi/sfx/1139654399/l50

151 :水先案名無い人:2006/05/31(水) 00:42:41 ID:9Rgg1Zbc0
 

152 :水先案名無い人:2006/06/02(金) 00:39:29 ID:wGUfl5dx0
病流舎(へいるしゃ)

唐の時代は長年の平和と文化の繁栄によって美食がもてはやされ、
過食により太りすぎて健康を害するものが少なくなかった。

かの華佗の後裔であり、自身も都一番の名医として名高い「華翁(かおう)」は、
この風潮を憂い、私財を投じて「病流舎(へいるしゃ)」という施療院を建設し、
過度の美食によって肥満した人々の治療に当たった。

治療法は、飲む茶や水を特別に調合した物で行うという極めて簡単なもので、
これにより多くの人が健康を取り戻したという。

現在、花王が「ヘルシア緑茶」などのダイエット飲料を売り出しているが、
かつての華翁の志を見習ったものであることは賢明なる読者の推測のとおりである。

民明書房刊「偉大なる中華帝国の医学史 第七巻〜唐代の医学〜」より

153 :水先案名無い人:2006/06/07(水) 16:10:30 ID:uhbhKzF90


154 :水先案名無い人:2006/06/11(日) 16:09:38 ID:ARwx7qWb0
美濃府鍬(みのふすき)

室町時代初期から美濃国(現在の岐阜県南部)の首府において堀・土塁等の建設のために考案された、
特異な形状の農具。

戦国時代に入ってから、合戦でしばしば利用された。屈強な男数百人が美濃府鍬で乾燥した地面を
猛烈なスピードで掘り起こして小型の砂嵐を発生させ、弓・鉄砲隊の視界を攪乱したのち、接近戦に持ち込むというものである。
1479年の一年合戦で特に多用されたが、天候・風向き・地質などの条件が整わないと使えないため、
後の公式記録にはほとんど残っていない。

「ガンダム」シリーズにおいて電磁波を攪乱するミノフスキー粒子なる設定があり、
宇宙世紀の戦闘でモビルスーツによる接近戦が主流となった根拠とされているが、これが美濃府鍬に語源を得ているのは明らかである。
日本史に造詣の深い富野監督ならではと言えよう。

民明書房刊「戦国武将怪策奇策」より

155 :水先案名無い人:2006/06/14(水) 18:24:06 ID:BEfi8FQp0
爺夫(やふう)

秦朝末期。中国大陸は始皇帝の暴政により大きく乱れていた。
各地で反乱が起こり、それに乗じて天下に名を残さんと意気盛んな若者が立志を夢見た。
しかし、情報伝達技術がまだ確立されていなく、真偽が入り乱れた情報が飛び交った。
この状況に目を付けた孫(そん)という若者は中国各地から若者を雇っては地方に赴任させた。
これにより中国全土の情報を手中に収めた孫は中国全土に名を馳せた。
孫は情報を必要とする人間に対して無償でこれを提供し、毎日多くの者が孫の元を訪れた。
しかし、中国全土の情報は膨大であり、それを整理する作業は並大抵ではない。
また、孫の派閥が巨大になり過ぎたため末端まで命令が行き届かなくなり、トラブルが多発した。
やがて民衆の中には孫に反対する派閥や、孫より多くの情報を有する派閥も現れた。
孫は30歳を過ぎる頃からストレスで頭髪が抜け始め、相貌は実年齢と大きく離れて見えた。
やがて、巷では爺夫(やふう:孫の外見は爺、実年齢は夫)と孫を揶揄する言葉が囁かれた。

現代において大手検索プロバイダのyahooの代表の孫正義は爺夫の孫の子孫と言う説がある。
真偽は定かではないが、これほど一致する事実は奇妙と言うほかない。

民明書房「古代中国の情報伝達 〜爺夫は禿げていた!!〜」

156 :水先案名無い人:2006/06/14(水) 20:06:53 ID:VJvZSjxeO
孫の子孫、ってややこしいな

157 :水先案名無い人:2006/06/14(水) 20:15:28 ID:RBncA2S90
こういった場合、「孫の末裔」とか書くとわかりやすいし、ちょっとそれっぽくなる。

158 :水先案名無い人:2006/06/14(水) 20:17:09 ID:IxhjtzmZO
孫の子孫の曾孫のやしゃご

159 :水先案名無い人:2006/06/15(木) 23:57:16 ID:fcig/IAk0
尼悲厄惨刑(にひゃくさんけい)
古代中国の摩杜狗(まとく)国で行われていた刑罰。
受刑者に対し、一切の入浴や水浴び及び疾病治癒を禁じた上で20年以上に渡り重労働を課すというものである。
主に法を破った尼に対して行われ、その尼が周囲から同情すらされないような悲惨な状態になることから尼悲厄惨刑の名が付けられたと言われる。

現在、JR東日本の松戸にある車両基地に所属する「203系」という電車が、整備の悪さからあまりにも酷い状態になっていることは、まさしく摩杜狗国で行われた尼悲厄惨刑を思わせる。
(民明書房刊 「貴方は電車の整備をしていますか?難しいからといって手を抜いていませんか?そのまま放っておくと…大変なことになりますよ」より)

160 :水先案名無い人:2006/06/16(金) 11:25:58 ID:J6aHsjh2O
混倒霊草(こんとうれいそう)

北京から三都離れた里の山奥に実在していたと伝承される薬草であり、主に体内の活性化を目的として修行僧が摂取してきた。
しかしその噂を聞き摂取したものが悉くその効能の強さから嘔吐や意識の混濁に見舞われ、果ては死ぬものも出る始末だった。

そこで混倒霊草を幾日掛けて水に漬け込み、その水を飲むと言う手法(混倒霊草水(こんとうれいそうすい))が後に取り入られ、この方法は混倒霊草が乱獲により潰えるまで続けられた。

現代において女性の間で「コントレックス」という飲み物がダイエット効果があるとして人気だが、これは混倒霊草水の再燃ではないのかと危惧している

(民明書房著 夢と美貌の軌跡 死々累々篇より)

161 :水先案名無い人:2006/06/16(金) 20:59:38 ID:wwF5X1XZ0
霊六渓(れいろっけい)
>>159の尼悲厄惨刑の刑期を終えた尼が、身を清めるために行ったとされる渓流。
凄まじい水の淀み具合で知られた茅預蛇泉(ちよだせん)を源とする流れの中でも、この流れのみは異常なまでに澄んだ水を湛えていたと伝えられている。
さらにこの流れには6つの霊力が宿っていると言われていることから霊六渓の名が付いたとされている。
あまりに酷い尼悲厄惨刑を終えた尼もこの流れに浸かれば、身も心もたちどころに回復することができたと伝えられる。

現代の東京の地下鉄に、酷い状態の車両が多数走る中にあって「06系」というひときわ輝くたった一本の新鋭車両が走っている路線があるが、これはまさしく電車の形で現代によみがえった霊六渓なのであろう。
(民明書房刊 「数多の地獄とたった一つの極楽」より)

162 :水先案名無い人:2006/06/17(土) 20:38:18 ID:4mjzMjzI0 ?
アツー家 (あつーけ Atsues)

13〜15世紀頃、現在のトーゴ付近で栄えたとされるバビロン国の皇帝一家。
特に34代のオフツ・アツー(Ofts Atsue)は強い男色性向を持ち、それまで弾圧を受けてきた
ゲイの人々をそれらから解放したことで知られる。

彼の功績は今でも多く知れ渡り、行為中に「オフッ!」「アッー!」と嬌声をあげるのは彼への
オマージュであり、また日本を代表する作家・阿都一のその名もこの姓から取ったのではないか、
との声がある。

民明書房刊「アフリカに見る男色家」より

163 :水先案名無い人:2006/06/19(月) 22:32:08 ID:mm4ZahqaO
東覇(とうは)
中国、三国時代に使用されていた棒に握りを付けた武器で、両手に一本ずつ二本1組として使う
手の握り方の強弱を調整することによって、回転させたり、静止させたりでき様々な攻防が可能で、また東覇を敵に印象付けておいて蹴りを打ち込む「東覇気突(とうはきつく)」などの技術もあったとされている
江東の小覇王と呼ばれた呉の孫策が考案し、愛用していたことから、東の覇、東覇(とうは)の名が付けられた
後にこの東覇が琉球へと伝わり、トンファーの原型となったのは言うまでもない

民明書房刊「世界の棒術・百選」より

164 :水先案名無い人:2006/06/20(火) 15:56:10 ID:bjI32gBT0
柳沢の美技はまだか・・・

165 :水先案名無い人:2006/06/20(火) 16:45:03 ID:EOK4qE8g0
ドス・アタック

【2ちゃんねる】 19日の大規模障害、DDoS攻撃が原因か
http://news19.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1150788852/45
45 Name: 名無しさん@6周年 [] Date: 2006/06/20(火) 16:39:05 ID: z9UoGOTx0
    セキュリティホールを突いてコンピュータシステムをサービス不能に陥れる、
    DoS(Denial of Service)アタックと呼ばれるクラッキングが知られているが、
    最近これと似て非なる「ドス・アタック」という危険な技があみ出された。
    これは、「鉄砲玉」と呼ばれる命知らずが、対立サイトのサーバマシンの
    フロッピー・ディスク・ドライブに MS-DOS のシステムディスクを突き刺し、
    イジェクトボタンをむしり取ってからリセットボタンを押してくるという荒技で、
    ターゲットにされたサーバは、MS-DOS 専用マシンになってしまうという。
    最近この攻撃を受けたサーバ管理者のひとりは、
    「Xeon 2GHz で動く DOS は悪夢のように速かった……」と、
    未だ茫然自失状態を脱していない。

166 :水先案名無い人:2006/06/24(土) 01:35:46 ID:cM5LI8GI0
打圧(だあつ)

古代中国において陀 阿津(だ あつ)という武人が大成させた武術。
この闘法は、投げ矢を使用して敵の急所を的確に射抜いてダメージを与える事を目的とし、
的板にひたすら投げ矢を投げ、思い通りの場所に刺すことが出来るようになるまで修行を行う。
この過程で自らに合った矢を製作する事も大切な修行であり、
主に矢の握りや長さを調整したり、尾部に付ける羽根などを適宜交換することで自らのスタイルに合った矢を製作していく。
また、同じ急所でも、体内の負の気が溜まっている場所に当てると2倍・3倍の威力があるとされ、
この微妙な点をそれぞれ「駄負溜(だぶる)」「堵離負溜(とりぷる)」と呼んだ。
この奥義を極めんとする者には、最終試験として「区理華闘(くりけとう)」と呼ばれる試合が課される。
これは対戦者の体に印をつけて交互に矢を投げあい、最終的に全ての印に3回ずつ矢を刺した者を勝者とする試合である。

今日の「ダーツ」の由来はこの闘法にあるということはあまり知られていない。
また、一昔前までは考案者の陀 阿津の名を取って呼ぶのが一般的であったが、
最近の調査によって、この技に使われていた矢の先端は針のようにとがってはおらず、
丸くなっている事がわかった。
よって、この技は「刺して殺す」のではなく、
矢に闘気を込め、その力で相手の身体に著しい負担をかけて殺していたとする説が浮上した。
このことから、この技は「打圧」と呼ばれるようになり、現在では老若男女が楽しめるスポーツとして人気を博しているのである。

民明書房刊「世界の飛び道具大全 〜矢らないか〜」より抜粋

167 :水先案名無い人:2006/06/24(土) 23:45:27 ID:eJN4u04e0
>>166
いいなw
久々の良作

168 :水先案名無い人:2006/06/26(月) 16:20:59 ID:Qbxt5/i20
既出?

殷の時代、中国では、しばしば日照りが横行し、
そのたびに人々は甲骨を用いた占いで天候の行方を占ったといわれている。
この占いの結果、出された雨の知らせが、濡流報であった。
濡流報は、日照りで苦しむ農民達に歓迎され、農民達は、祝福の意味を込めて、
「賀(が)」と言って、濡流報を伝える者をもてはやしたという。
「濡流報」「賀」のやり取りは、初めは言葉だけのやり取りであったが、
やがて杖や棒を用いて、相手の頭をなでる行為が加わり慣習化した。
後の三国時代には、連弩の技術を応用した自動式の賀装置も作られている。

なお、現代の「ぬるぽ」「ガッ」のやり取りは、いうまでもなく、濡流報が元になっており、
棒のようなもので相手を殴るという、一見粗暴な行為に変化しつつも、
祝福と感謝、五穀豊穣の願いが込められていることを我々は忘れてはならないだろう。

民明書房刊『知られざる甲骨文字発祥の歴史』より

169 :水先案名無い人:2006/06/28(水) 01:08:20 ID:y3Uw72sU0
ttp://ex13.2ch.net/test/read.cgi/gline/1137796432/168n

なんか違う気がする

170 :水先案名無い人:2006/06/28(水) 01:09:13 ID:y3Uw72sU0
しまった誤爆

殲風掌食らってくる

171 :水先案名無い人:2006/07/01(土) 23:58:13 ID:OjboVu0nO
豪流舞派衆(ごうりゅうまい・はしゅう)

中国は秦代、派衆(はしゅう)という暗殺集団がいた。
太刀を仲間内で回し、翻弄されたターゲットを切り刻むという彼らの暗殺術は、かの始皇帝をも恐怖におののかせた。
そんな彼らであったが、けして無敵ではなかった。
始皇帝直属の部隊であった豪流(ごうりゅう)という、舞を踊りながら剣戟を繰り出す部隊の前では屍を晒し続けたという。
豪流の前では派衆とて無力。
そんなことを言われ始めたある年、死期を悟った始皇帝が派衆を本格的に潰しにかかった。
そんな時立ち上がったのが派衆の若武者、谷渚和(や・なぎさわ)と尚端羅(たか・はら)である
彼らは豪流の前では禁忌とされた派衆の技を効果的に使い、これを打ち破ったという。
2006WCにおいて日本代表の柳沢と高原がパスを出し合ったのはチキンハートゆえと言われているが、彼らが派衆の血を引く者たちだったと考えるのは筆者の考えすぎだろうか。

民明書房「古代中国に見るスポーツ戦術〜ジーコの頭脳」より抜粋

172 :水先案名無い人:2006/07/03(月) 05:16:10 ID:NUKg4xcl0
だれかQBKで作って下さい

173 :水先案名無い人:2006/07/08(土) 07:18:12 ID:C/RM3Q9P0
産婆陀堂(さんばあだどう)
江戸時代末期、現在のお台場にあったとされるお堂の名称。不得寺(ふうじ)と呼ばれる
お寺で頓音流宗(とんねるしゅう)といわれる宗派の人間の元、鎖国を解いた日本がイギリスの
産陀婆堂(さんだばあどう)と言われる宗教施設を模して作られたものであるが、思いのほかオリジナル
に忠実な形となっていた。イギリスの産陀婆堂では主にからくり人形がお堂で宗教行事を行ったのに
対して、日本の産婆陀堂は頓音流宗の者が宗教行事を行っていた。その際は青い服と下唇を突き出す
スタイルが特徴であった。面白いエピソードは頓音流宗の者が酔っ払って2号と呼ばれる緑色の篭を
吉原の遊郭でぶつけてしまい、産婆陀堂にいる面々を出入り禁止にしたり、1号といわれる篭を出す時は
必ず、横にこけるというものがあった。
かつて「とんねるずのみなさんのおかげです」のコーナーに「サンバーダード」と呼ばれるサンダーバードの
パロディが存在したが、本当はこの産婆陀堂の逸話をヒントにしたのではないかという説が有力となっている。
余談ながら、不得寺には火面野梨陀(かめんのりだ)といわれる仏像があったが、この仏像は江戸の町民から
ご利益があるとして、多大な指示を受けたということを付け加えておこう。

(民明書房刊 「日本寺院総目録付録〜パパ、大変だ〜」より)

174 :水先案名無い人:2006/07/09(日) 02:34:36 ID:uyrciwTS0
>>173
非常に懐かしいものを思い出した
昔の思い出ってなんか和む

175 :水先案名無い人:2006/07/12(水) 00:53:01 ID:i9I0TwfyO
弓鼻射刑

日本は戦国時代、間諜の多さに各戦国大名は頭を悩ませていたという
そんな中、織田信長が考案した間諜専用の刑が弓鼻射刑(きゅうびいけい)である
これは石牢の中で寝静まった間諜の鼻を、弓の名手が射抜くという刑で、間諜は急に飛んできた矢に対処しきれず、鼻を失って悶え苦しんだという
この刑の効果は抜群で、最初にこの刑に処された辺凪才九朗(へなぎ・さいくろう)という人物は
「急に矢が飛んできたので鼻を失ってしまった。焦って機密を話してしまった」
という遺言をしたためている。

先のドイツWCにおいて
「急にボールが来たので対処できなかった」
という選手がいたが、彼が弓鼻射刑に処されていたのは間違いないだろう

民明書房「日本の刑罰大全〜矢らないか」より抜粋

176 :水先案名無い人:2006/07/12(水) 14:47:37 ID:qm7bZmaQO
破亜土睨(はあど・げい)

中国・晋王朝の時代の将軍、耶麻旬(やまじゅん)によって完成された武術、睨(げい)の流派の一つ。
睨には幾つかの流派があり、烏補(うほ)、阿通(あっー)、肋酌唖丹揮(ろくしゃくあにき)球磨戦静、(くませんせい)、墨太刀乃春破是唐打(ぼくたちのはるはこれからだ)などがある。
破亜土鯨は比較的新しい流派で、発祥は18世紀末、時の武人である澄渓(すみたに)が開祖であると言われているが、詳細は不明である。

破亜土鯨の訓練方法は睨の中でも独特である。
革製の、とても短い衣服を道着とし、股間の竿を小刻みに振りながら「方ーーっ!」や「大慶ーーっ!」などと叫びのだが、この時に手を大きく広げなくてはならない。
この訓練方法は国民から絶大な人気を誇り、また、澄渓の人柄の良さも相俟って、破亜土睨を知らぬ者は中国大陸にはいないとまで言われた。

破亜土睨の亜流、李或睨(りあるげい)なるものも存在し、しばしば破亜土睨と対立したが、後に二つの流派は併合し、礼座羅門(れいざーらもん)となった。
しかし、礼座羅門になってからは入門生が激減し、再び破亜土睨と李或睨に分離されたが、一度失った人気を取り戻すことはできずに、二つの流派は次第に廃れていったという。

今日のお笑い芸人であるレイザーラモンの二人が最後の門下生であると言われているが、真実は定かではない。

民明書房「ウホッ!いい男たち 耶麻旬パーフェクト」より抜粋

177 :水先案名無い人:2006/07/12(水) 18:36:10 ID:UqKgp/+NO
ややスレ違いだがジョジョでも民明書房出てんのな

178 :水先案名無い人:2006/07/13(木) 21:19:11 ID:DvxYM3jz0
雷電!ジダンが使ったあの技は一体何なんじゃ?
普通の頭突きとはちと違うようじゃが…

179 :水先案名無い人:2006/07/13(木) 22:48:38 ID:E/Eh5gWE0
雷電「むう、あれは経沈愚・・・まさか今の時代にあの奥義を使う者がいようとは・・・」

経沈愚(へぢんぐ)

古代中国では、僧侶とは特権階級であった。しかし特権階級だからと言って、誰からも
襲われることが無かったわけでもない。西遊記などに見られるように、「徳の高い僧侶の肉は
薬になる」と本気で信じられていた時代もあったのである。
しかし、僧侶は殺生を禁じられており、杖以外に武器の類いを持つことも無かった。

ある時、爾壇寺(じだんじ)という寺で読経の時間に見習い坊主が居眠りをして、頭から木魚に
突っ込んでしまい、木魚を壊してしまった。その破壊力はなかなかのものであり、瞬く間に
世の僧侶たちに広まったが、当の見習い坊主は「せっかくありがたい経を読んでいる時に、
眠りの世界に沈んでしまうとは何と愚かなことだ」と自らを戒め、この頭突きを「経沈愚」と呼んだ。
また自らはその行為を恥じ、西方へ修行の旅に出たまま戻らなかった。

現在、サッカーにおいて頭でボールを打つことをヘディングというが、「名詞+現在進行形」と
いうのは言葉の成り立ちとしてやや不自然であり、この「経沈愚」が語源であろうという説が
主流になっている。
また聡明な読者諸君ならば、フランスの有名なサッカー選手であるジダン選手が、この
見習い坊主の子孫である可能性に気付くであろう。

民明書房・刊「肉体表現 〜目や拳で語るくらいなら他でも語れ!〜」より

180 :水先案名無い人:2006/07/13(木) 23:08:20 ID:DvxYM3jz0
>179
素早い!そして上手い!流石は雷電じゃのぅ。

181 :水先案名無い人:2006/07/14(金) 23:47:53 ID:BGP5z1EWO
お見事なり

182 :水先案名無い人:2006/07/15(土) 02:19:08 ID:3BOf+8WpO
女眼多蛙(めめたあ)

主に、中国大陸の南方に位置する序南山(じょなさん)に生息するカエル。

大した移動手段のなかった昔、広い広い中国大陸をマッピングする事は容易ではなかった。
そこで、時の暴帝・禰御(でいお)は、中国大陸の地図を完成させたものに、王家に代々伝わる秘宝、石仮面を与えるとおふれを出し、中国全土から冒険者を募った。
そして、初屡省に住む農民・津栄舳李(つえぺ・りー)は、真っ先に故郷を飛び出し、地図の作成を始めたのだった。

それから数年後、津栄舳李は中国大陸の南方にて、地図作成の作業を行っていた。
その際、彼は序南山にて奇妙なカエルを発見した。と言うのは、体中まるで人間の眼のような模様に覆われており、その模様一つ一つが、可憐な女性のように美しく整った眼の形をしているのだ。

津栄舳李は大層驚き、「女性の眼が沢山ついたカエル…。これからはあのカエルを女眼多蛙と呼ぶことにしよう」と言った。それが、女眼多蛙のが起源である。。

なお、津栄舳李は地図を完成させることなく病により倒れたが、その後も地図を完成させる者はおらず、
時の将軍の夏逗(かず)とその仲間、琶武(わむ)・栄司弟幟(えしでし)の三人が反乱を起こしたため、禰御は倒れ、結局、石仮面が国民の手に渡ることは無かった。

なお、現代の漫画家、荒木飛呂彦氏の作品「ジョジョの奇妙な冒険」中に出てくる、カエルを殴った際の擬音「メメタァ」は、冒険者津栄舳李に敬意を払ったものであり、
重要なキャラクターである「ウィル・A・ツェペリ」の名前の由来は、海外のバンド「レッドツェッペリン」と言われていたが、実は津栄舳李ではないかと専門家の間で噂になっている。


(民明書房刊「古代中国の冒険者〜黄金の精神を持つ男達〜」より抜粋)

183 :水先案名無い人:2006/07/15(土) 16:40:23 ID:OrIMhpUs0
朱苦衛山・苦悪山(しゅくえいさん、くあくさん)
中国の奥地に存在するといわれる山岳。西山山脈といわれる山脈に特に際立って大きな山
があり、特に大きい荒悶山(こうもんさん)といわれる山の左右を囲むように作られている。
朱供衛山には葵の形のミステリーサークルがあるとされ、悪人はその山に入って必ず災難に
会うとされる。チンギス・ハーンの末裔であるアクダイ・カーンは荒悶山その山に入ろうとして、
苦悪山と朱苦衛山の葵のミステリーサークルの部分で滑落して果てたとされる。その他にも
中国系アメリカ人のマフィアであるエイ・ツィゴー・ヤンも同じ地点で死んでいた。悪人が滑落して
葵のミステリーサークルの周りは血の赤で染められ、悪人が苦しんだ為に「朱苦衛山」「苦悪山」
といわれている。
なお、水戸黄門の助さん格さんの命名の由来がこの山に由来するものであるということは
賢明な読者の諸君ならお分かりであろう。余談だが、水戸黄門で助さん格さんが悪人をコテンパンに
しているシーンはまるで朱苦衛山・苦悪山の物語を彷彿とさせるのは何がの因果であろうか。

民明書房刊「中国山岳地理誌別紙〜水戸黄門 印籠なければ ただの爺〜」

184 :水先案名無い人:2006/07/18(火) 00:28:05 ID:eilHH2oG0
華愚矢伏地(かぐやふせじ)

古代中国。
戦乱の世であったため、数々の勇猛な武将と、それに纏わる逸話が生まれた。これもその一つである。
華と呼ばれる武将がいた。彼は勇猛であることでは有名だったが、やや智謀に欠けていると評された。
華がそのことに全く気付く素振りを見せなかったため、なおさら陰で嘲笑されることとなる。
実は華自身はそれを知っていたが、あえて気付いていない振りをしていたのである。
ある合戦の時、華の軍は窮地に立たされ、活路を切り開くことが出来ずにいた。
敵の弓矢部隊の攻撃が激しすぎて近づくことが出来ないのである。
すると華はたった一人で敵に突進。「ああ、所詮は愚かな華であったか」と皆は嘆いた。
相手が愚かな華と見るや、弓矢部隊に狙い撃ちをされる華。しかし華はすぐに馬を捨て、地に伏せることでそれらを避ける。
そして弓矢部隊のその一瞬をつき一気に接近したことにより、華の軍は勝利を上げる。
これにより、「ああ、華は愚かでは無かった」と言い、「華愚矢伏地」として語り継がれるのである。

なお、現在の成人向けゲームメーカーアトリエかぐやにおいて
「な○とか」などと伏字されているにも関わらず音声が「なピーんとか」などのように聞こえることは
敵地に果敢に突入した華を暗示していることは聡明な読者諸君には言うまでもない。

民明書房刊「古代中国の武将伝〜そしてエロ○ゲー今昔〜」より


初めて作ったけどこれ予想以上に難しいな・・・全然ふいんきが出ない

185 :水先案名無い人:2006/07/18(火) 13:24:29 ID:A3B9FZP80
【韓国】「酒によって腹立ちまぎれに…」〜火を付けようとした40代逮捕[07/18]
http://news18.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1153181003/13

13 Name: <丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん [] Date: 2006/07/18(火) 09:21:03 ID: Jz7Sb6Qx
    埴埴炭(はにはにたん)……

    李氏朝鮮の時代、漢城近郊の火病山で生産されていた良質の炭。
    手に持って、少し振るだけですぐに着火するという優れたものであった。
    しかし、短気な気質な朝鮮人のこと、すぐに喧嘩や強盗に悪用されたため、
    時の朝鮮国王は埴埴炭の製造を禁止し、製法書は焚書された。
    最近、某巨大掲示板上で、韓国の放火記事を好んで立てる
    「ちょーはにはにちゃんw」なる記者がいるが、この固定ハンドルネームが
    埴埴炭からとられたかどうかは、推測の域を出ない。

    民明書房刊「ソウル消防25時 〜嗚呼、紅の火は燃ゆる〜」より

186 :水先案名無い人:2006/07/20(木) 17:17:32 ID:QXJ92Xtq0

アブラタニス

西域に強大な権勢を誇ったユーシモッド帝国の将軍。
サン・マルコ、ギョロメニウスといった名将を多数擁するユーシモッドにおいては
中堅クラスの将軍ながら部下からの信頼も篤く、盟友カトゥッサと共に各地を転戦し、
その戦いぶりから「パラディソ・リベルーラ」(まるで天界に舞う蜻蛉のようだ)と賞された。
また西域の武将でありながらバシタカ・ハーンや萩ノ本欽麿といった東方の有力者とも
親交が深く、特に欽麿の主催する球技大会によく参加していたという。

しかし、呆れるほど女癖が非常に悪く、また脱ぎ癖もあったらしい。
そしてついに、欽麿に呼ばれて赴いた東方において、東方の球技選手と共に年端もいかぬ
幼女を手篭めにするという大問題を起こし、東西の開戦は必至かと囁かれた。
しかしユーシモッドはこれにいち早く対応。アブラタニスを国外永久追放とし、
また欽麿も大会の解散を宣言、事なきを得た。

残されたカトゥッサは友の放蕩を諌められなかった自らを悔い、スッキリの丘の上で
民衆に対し涙ながらに深く詫びたという。
これが世に言う「カトゥッサの屈辱」である。

追放後のアブラタニスの消息については諸説あるが、現在ではアラブの唯一神
「タッシーシ」を信奉する暗殺および性犯罪組織に入り、死ぬまで淫蕩の限りを
尽くしたという説が有力である。
アブラがアラブに落ち延びたというところに、筆者は思わず歴史の皮肉を
感じずにはいられない。


ミュンヒハウゼン出版刊「みんな、めちゃ×2困ってるッ!」より抜粋


187 :水先案名無い人:2006/07/21(金) 02:18:04 ID:zeEFKCrO0
>186
ネーミングセンスとかは結構良いと思う。
けどどっちかって言うと民明書房と言うよりそのまんま「カノッサの屈辱」っぽいな。

188 :水先案名無い人:2006/07/21(金) 13:33:07 ID:vBJX8vKW0
>>186
原作では1冊しか出てこなかったミュンヒハウゼン出版も、
2ちゃんでは出典が多いなw


189 :水先案名無い人:2006/07/23(日) 06:23:35 ID:TViQzdKgO
『熊襟』くまぇり
時は戦国
現在の長野県にあるといわれる秘境 平田山地では名をあげんとする者達が日々修業に励んでいた。
その中で、火計を得意とする一人の修業者が、大名の目にとまりやすくするため、熊の毛皮を首に巻いていた。
それにより、裏はともかく表向きの人柄の良い彼は、親しみを込め
『熊襟』くまぇり
の愛称で呼ばれた。
また彼の操る火計は、あまりの巧みさゆえ、他の修業者は
『得利火』えりか
様々な場面でも利を得る火、と畏怖した。
尚、連続放火犯の平田恵理香容疑者は出身地、愛称、犯行の手口から推測するに、この『熊襟』の子孫ではないかと歴史学者は考えている。 民明書房刊
『欲望は火のように』抜粋

190 :水先案名無い人:2006/07/23(日) 06:26:11 ID:TViQzdKgO
改行ヘタで申し訳ない
下げ忘れたし

191 : ◆RAIDENARD. :2006/07/23(日) 10:54:59 ID:TNkrlrIa0
雷電「しかし、后宮楽夜魔孟豚・・・まさか奴は、あの悲劇を再現しようと言うのか!?」

后宮楽夜魔孟豚(ごくらくやまもうとん)

古代中国のある王朝で、王がまだ年若い娘を娶った。この若き后に、王の近衛兵であった孟という男は
良からぬ劣情を抱き、策を弄して後宮に入り込み、こともあろうか后に猥褻行為を働いたのである。
この事件が明るみに出た後、王は「わが后の宮でお楽しみとは、夜魔のごとき孟、この豚めが!」と
声を荒げ、一刀のもとに切り伏せたという。

余談ではあるが、この「宮」というのは子宮、つまり女陰を意味していたという解釈もある。

この時に孟を切り捨てた刀というのが、あまりの切れ味に斬られたものを凍りつかせ、霜を与える刀
与霜刀(よしもとう)と呼ばれる伝家の宝刀であったと噂されている。

この後、近衛兵の団長を勤めていた欣茶武(きん・ちゃむ)は、孟の行いに責任を感じて団長職の
辞任を申し出たが、周囲の軍師らは「悪しき者は孟であり、欣将軍に責は無し」と辞任の撤回を
求めたという。

先日から世間を騒がせている、極楽とんぼ・山本の猥褻事件、吉本興業による一刀両断の解雇措置、
欽ちゃん球団の解散騒動という一連の動きが、この后宮楽夜魔孟豚事件と奇妙な符号を見せるのは
ただの偶然なのだろうか、それとも・・・

民明書房・刊 『事件の陰に潜んだ男女の話・あることないこと編』より。

192 :水先案名無い人:2006/07/23(日) 11:08:24 ID:Y1LMyZF80
>191
GJ!山本ネタは出来が良いの多いなw
あと出来れば加藤の事も盛り込んで欲しかった。

193 :水先案名無い人:2006/07/23(日) 12:49:14 ID:YZTQvNkV0
>>191
GJ!上手いな。

194 :水先案名無い人:2006/07/24(月) 21:40:21 ID:62DREM+l0
>>192
出来が良いの多いって、どこかに転がってるなら転載しろよ〜。
気になるじゃないか。

195 :水先案名無い人:2006/07/25(火) 12:09:06 ID:+81ZPsIpO
638:名無しさん@6周年 :2006/07/24(月) 19:04:34 ID:7yj49QrYO
【大火謳歌たいぴおうか】

古代中国。
戦乱の世であったため、数々の勇猛な武将と、それに纏わる逸話が生まれた。これもその一つである。
敵の軍勢に、武呂倶(ぶろぐ)の城にて包囲され危機に陥った武将 鷹 桜花(たかおうか)は
伝説の武将 礼 慈艶土(れいじえんど)に応援を要請し、これを打破せんとした。
だが敵の軍勢、弐威斗(にいと)の兵多数。
多勢に無勢の武呂倶城はあっという間に火を放たれ炎上。盟友礼 慈艶土も矢を受けて戦死した。
覚悟を決めた鷹は自らの城に厳重な鍵をかけて籠城し、
奈津刀(なつとう 鷹家に伝わる刀)で自害したという。
末期に鷹は、
「大火謳歌(この炎上する様を楽しもうという意)」
と残し愛馬の葵(あおい)と共に果てたと伝えられる。


民明書房館 『撥血技(はつちぎ)の戦士達』より抜粋


196 :水先案名無い人:2006/07/29(土) 04:08:39 ID:gcmsXWyT0
http://book3.2ch.net/test/read.cgi/magazin/1146626447/490

※<円環蛇の無限停滞>
>Infinite Stagnation ON Ouroboros……
>
>"ISONO"と略すのが一般的である。
>敢えて乱暴に例えれば、ニーチェのいう永劫回帰の限定縮小亜種のような概念と
>言えるだろう。尾を呑んだ大蛇ウロボロスの上をそれと知らず歩き続けるように、
>いつまでも同じ所を循環し続ける現象を指す。
>この蛇に囚われた集団の成員は記憶や認識は切れ目無く連続しているにも関わらず、
>時間経過で変遷すべき属性(容姿、年齢、就学者の学年、乳幼児の発語レベル、
>年配者の脱毛状況など)が固定されていることに何らの疑問も抱かない。

民明書房刊
『サンデーナイト・メランコリィ』マーチェンコ・ハシェガエフ著  より


197 :水先案名無い人:2006/08/02(水) 03:55:11 ID:N6+01ypt0 ?2BP(8)
120 名前:水先案名無い人[sage] 投稿日:2006/08/02(水) 02:59:50 ID:U3Eyb5cH0
「うあああああ!!」(ブブンブンブン)

「な、なんじゃぁー!あ、あれはーっ!」
「か、刀がまともに当たったのに、相手が斬れずに吹っ飛んだーっ!」

「ぬぅっ!あれはまさしく研無刀・・・。よもや、あのような年端もいかぬ小僧が・・・!」
「し、知っているのか、雷電!」


研無刀(けんぶとう)

中国拳法において真剣は切れ味がある分扱いやすいし
秘承鶴錘剣から暹氣虎魂まで幅広く使われている拳法家の基本武器
対して研無刀は見た目なんかは真剣とほとんど変わらねぇが
あえて斬れない様に鋭く研がない分
硬度と重量をかなり増加させて
斬るより破壊を目的とした
玄人好みのあつかいにくすぎる刀
使いこなせないとなまくら刀より弱い
ただの鉄くずみたいなもん
だってのに何であのガキは

(民明書房刊 『斬』 より)


「あの刀を見事に使いこなすとは・・・只者ではないでござる!」
「フッ、俺達もとんでもない後輩を持っちまったもんだぜ」


198 :水先案名無い人:2006/08/02(水) 04:47:17 ID:EfzTno2j0
>197
元ネタ解説プリーズ

199 :水先案名無い人:2006/08/02(水) 04:59:21 ID:PLOhU1CYO
玄人好みのあつかいにくすぎる刀 2本目
http://ex13.2ch.net/test/read.cgi/gline/1154276767/


元ネタは中学生の落書きレベル(誇張でも何でもなく)の
ヤバ過ぎるジャンプの新連載。

200 :水先案名無い人:2006/08/02(水) 08:06:49 ID:a7v7BTih0
蒋悦千(しょうえつせん)
元の時代、南宋は現在の桂林の辺りに蒋悦千(しょうえつせん)なる賤民がいた。
之は病に伏す母を持ち、裏山に自国へ貢ぐ為の一頭の家畜(豚)を飼って暮らしていたと言う。
或る時、悦千は其の母がもうそれ以上存えない事を理解した。
悦千は老い先短い母に最後だけでも素晴らしい食を与えてやりたいと強く思った。
されど悦千には余る金銭も無く、貢物の豚を裁く以外に仕方なかった。
悦千は母に与えた残りだけでも国に貢ぐ為に、豚を余すことなく用い、なおかつ保存の利く料理を作ろうとした。
そこで悦千は豚の肉及び内臓等を細かく挽き、それを豚の腸に詰め保存が利くように加工した。
そして之を蒸して母に与えたところ非常に喜んで食し、間もなく亡くなった。

さて、それから4ヶ月ほど後であろうか、悦千から貢物を回収するために役人がやってきた。
悦千は家畜を処理して之を食とした事を詫び、保存食とした物を代わりに渡した。
役人は怒ったものの事情を飲み込んでそれを受け取り帰っていった。
しかししばらく後、悦千は貢物を納めなかったという罪で国を追われる事となった。
之は試しに貢物を食した役人が、その旨さに感動し全て食い尽くしてしまった為である。
不条理にも国から追い出された悦千は、西夏をさらに西へ行き、山々を越えて放浪した。
そして何番目かの山を登ったとき、悦千は豚飼いのヨーロッパ系の家族に出会った。
かつての豚飼いに共通の何かを感じたのだろうか、彼らは東から来た旅人を厚くもてなしてくれた。
悦千は之に感謝し、お返しに豚の保存食の作り方を教え、またどこかへ去った。

その後の悦千の行方を知るものはいないが、保存食の作り方はその後広く広まった。
人は悦千に敬意を表し此の食品に「シャウエッセン(蒋悦千)ソーセージ」と名づけた。
「ソーセージ」とは "so sage" すなわち「すごい賢人」の意である。
そう、これが昨今スーパー等で売られているシャウエッセンソーセージの起こりなのだ。
現在まで食卓の第一線を飾り続ける食品を生み出した立役者悦千は、
間違いなく歴史を知る人間たちから惜しみない賞賛を受ける対象の一人であろう。

( 民明書房刊 「世界の食卓を作った偉人たち」 より )

201 :水先案名無い人:2006/08/03(木) 08:32:51 ID:+oL4yTj90
>>200
GJ!
しかし「何番目かの山を〜」のくだりは何を意味してるの?
よかったらそこだけ書いて

202 :水先案名無い人:2006/08/03(木) 18:19:37 ID:/3YVZTYs0
多分、単純に「凄い距離を移動したんだよ」という意味だけかと。

203 :水先案名無い人:2006/08/04(金) 02:05:00 ID:vRgNL1d4O
素晴らしいクオリティだ。感動した

204 :水先案名無い人:2006/08/04(金) 16:04:10 ID:5Z2EjVCc0 ?2BP(108)
>>201
あぁそれはあそこらへん山がちだから
いっぱい山越えてソーセージ有名なアルプスあたりまで行ったって事いいたかったの

205 :”削除”整理板の質雑スレから転載:2006/08/12(土) 15:56:08 ID:V+NNthT20
37 名前:arc ◆arc/U573Xw 投稿日:2006/08/10(木) 21:36:49 HOST:p10137-air02hon32k.tokyo.ocn.ne.jp
魁!漢字塾

例題
Q ラグビー ボクシング ギロチン
A 羅倶美偉 撲針愚   義呂珍

な、何か嫌な予感がするのう…


38 名前: ◆RAIDENARD. 投稿日:2006/08/11(金) 19:50:51 HOST:aksi113091.catv.ppp.infoweb.ne.jp
雷電「むう、これはまさしく唖躰示。まさか現代にまで受け継がれていようとは!」

唖躰示(あていじ)
古代中国の拳法家が好んだ言葉に、「漢は拳で語るもの」というものがあるが、これはまさにそれを
体現化した修行法である。

修行者は一切口を閉ざして、己の肉体のみを使って相手に言葉を伝えなければならない。もちろん
拳法家の行うことであるから、人文字によるジェスチュアなどでは話にならず、素手で地面を殴って
窪ませたり、剣や槍の先端で岩に文字を刻んだりした。

しかし達人になってくると、普通どおりに文字を並べるだけでは技量を存分に見せることができない
ため、読みが同じでも画数の多い文字を敢えて選ぶようになった。

いわゆる「当て字」は、この「唖躰示」が元になったことは想像に難くない。また現代でも暴走族などが
当て字のメッセージを好むのは、己の技量をみせつけようとした達人たちにあやかった行動であると
主張する学者も多い。

民明書房・刊「戦い、そして語るシス」より抜粋。

206 :水先案名無い人:2006/08/13(日) 00:27:19 ID:08QKYtQX0
(1) 明朝末期、中國北東部の男達の間で、素麗建(すれたて)なる遊びが流行っていた。
先端に旗をくくりつけた棒を地面に立て、合図と共に棒に駆け寄りに旗を奪い合
うという、己の機敏さを誇示する遊びであった。
やがてこの遊びに飽きた者達が、毒草を煮込んだ煮汁を飲み、その解毒剤を旗代
わりにして奪い合うという遊びに発展させた。
命を落とす者が続出したが、戦いに勝利したものは英雄として賞賛され、朝廷に
仕える者を輩出するほどであった。
この毒草の煮汁の解毒剤を賭けた闘いは「煮解賭」と呼ばれ、時代を左右する勝
負の場でも競われてきた。
己の肉体を誇示する機会の少なくなった現代社会においては、インターネットで
の「2ゲット」と形を変えて、現代人が機敏さを争っているのである。
( 民明書房刊 「DNAに刻まれた中國 現代人の行動のルーツを探る」 より )

207 :水先案名無い人:2006/08/13(日) 04:17:04 ID:08QKYtQX0
『大納舞句』(だいなまいく)

漢代の詩人田守(たもり)が完成させた唐代の社会評論集。
中国最古の詩編『詩経』に拠れば、先祖代々の故地であった不玖於珂(ふくおか)県に生まれる。
幼少より、詩文を学び、山に籠って航海術の勉強をしながら道士の修行をした。
また、その一方で、料理を好み、四川料理の原型を作ったとも伝えられる。
不玖於珂を出てから、科挙に及第するべく都の太學に入学。しかし、夷狄の音楽である邪豆(じゃず)に倒錯し、
喇叭(らっぱ)を学ぶ。そのため、学業がおろそかとなりわずか1年で太學を放校となる。
以降は、しばらく流浪の生活を送っていたが、やがて当代きっての画家の赤都貨(あかつか)に詩の才能を認められて、
30歳で赤都貨に仕えるようになった。
彼は周辺各国の諸言語にも秀で、諸外国語をちりばめた四珂哭胡麻雀(よんかこくごまーじゃん)なる
吟遊詩を完成させ、名声を得る。
一般的には『猪彝鞆』(いいとも)という書物が代表作ということになっているが、『大納舞句』はより
田守の芸術性が遺憾なく発揮されている作品という評価も高い。
『大納舞句』は餓梁魏(うえやなぎ)慟乎(どうお)そして田守自身が登場する、説話形式で当代の政治・風俗・社会
を批評した書物であり、現在までに120巻ほどその存在が確認されている。
かつては、通年に亘って刊行されていたものが、時が経つにつれ農閑期である秋冬にわたってのみ刊行されるという
現象が見られた。
中でも注目すべきは『大納舞句』内の「疑問」という項であり、市井の人々が疑問に抱きがちな事柄を餓梁魏、慟乎
田守の三人で解決するという体裁をとっている。
しかし、『大納舞句』の真の作者は覇諮(はし)(生没年不詳)では無かったのかという研究が近年報告されている。

民明書房刊 『郁達夫と田守 --中国近代社会評論集』より


208 :水先案名無い人:2006/08/13(日) 10:23:25 ID:ao/shodv0
『阿音右府』(あねうふ)

中国文化が男性優位であることは間違いないが、唯一女性のみが就ける役職があった。
それは芸術文化について研究する最高機関で、「夷望都右府」(いもうとうふ)と呼ばれていた。
この役職には本来、皇帝の長男より後に生まれた女子だけが就くことができた。
ある時皇帝の四女「宜麻李」(ぎまい)がその役職についていたが、彼女は芸術のセンスがなくろくに仕事をしなかった。
芸術文化の衰退を危惧した男性達は、皇帝の長男より先に生まれた長女である「阿音」(あね)に就かせるべきだと考えた。
彼女は自らが作った曲『阿音誌葉』(あねしよう)を「舞踊団・合舞」(あいぶ)と「弦楽団・琴湖」(ことこ)らと合奏し、その音色と詩の美しさから非常に高い評価を受けていた。
男性達は『阿音右府!阿音右府!』と叫びながらデモ行進を行い、暴動を危惧した皇帝はついに阿音をこの役職に就かせた。
その際に名前も『阿音右府』(あねうふ)に定着したと言われる。

これが現在の妹ブームから姉ブームへの変遷と「あねうp」コールの原点だといわれているが、KOTOKOとI'veが主題歌を手がけた「姉しよ」との関連は謎である。

民明書房刊 『現代と比べる中国の芸術文化史』より

209 :水先案名無い人:2006/08/14(月) 13:00:39 ID:A+4UvLF40
>>207
その本には「田守倶楽部」についても記述があるんだろうか

210 :水先案名無い人:2006/08/14(月) 19:44:09 ID:4OCu6XJk0
「昆矢覇砕鋼」の記述の有無も気になるな

211 :水先案名無い人:2006/08/15(火) 22:04:29 ID:wRfGXIi20
「御楽琶世戒拿」もあるのかな?

212 :水先案名無い人:2006/08/17(木) 21:37:33 ID:p1R2gKzp0
http://game9.2ch.net/test/read.cgi/cgame/1153783640/655-657
「な、なんじゃあーーーっ!? あのエキドナとかいう痴女、股ぐらから巨大な蛇を取り出しやがったーーーっ!?」

「ぬぅ、あれは“卦琉耽”! ではあれが世に聞く“武者巫女蛇地獄”……!」

「し、知っているのか雷電ーーーーっ!?」


武者巫女蛇地獄(むしゃひめへびじごく)…
その起源は猥流道獲瑠婦族に古くから伝わる公開恥辱刑である
これは卦琉耽なる蛇により相手の動きを封じ
勢羅亜服、巣食魅図等、様々な衣装を強制的に装着させ鑑賞し精神を破壊する高等人体操術であり
中でも苦立喰と呼ばれる達人は服を剥ぎ乳首を高速でつつき、赤面させる事に長けたという
現代、マウスのボタンを押す動作をクリックと呼ぶのは
苦立喰の乳首をつつく時の指使いと酷似していた事に由来する

民明書房卓上遊戯部刊
『ホビージャパンはエロ雑誌作れ』より

213 :水先案名無い人:2006/08/19(土) 01:49:34 ID:SOUoxqV60
弧野転覇弟子重誉(このてんはでねえよ)

そのルーツは清朝初期にまでさかのぼる。
野武耶(のぶや、字は愉期(ゆき))という文官がいた。
この「弧野転覇弟子重誉」とは、彼の座右の銘である。
この「弧野転覇弟子重誉」が、彼の座右の銘になるまでの経緯は、実に幾多の波乱に満ちていた。
もともと、野武耶は南京の僧侶の出自であり、都のものからは忌み嫌われていた。
野武耶は自身に数学の才能があることを自覚していたが、しかし、その出自のせいで才能を発揮できないことを嘆いた。
いつしか報われない境遇に阿片に手を出し、亡僧族(ぼうそうぞく)という僧兵の集団に身を投じて暴虐の限りを尽くした。
しかし、都の文官の中に彼の才能を見出したものがいた。
秋山仁(しゅうさんじん)である。
秋山仁は、野武耶にさまざまな数学の薫陶を施し、立派な文官として育て上げた。
そして、野武耶が清朝に登用される際に最後の教えとして「弧野転覇弟子重誉」という言葉を授けた。
これは、孤独であった野武耶が、転じて覇を唱え、誉れ高き弟子を重ね続けるという意味である。
彼はあらゆる数式の解法の研究で名を上げ、彼の解法は文官のみならず、軍師が砲撃の際の弾道計算に珍重され、清の発展に大きく貢献した。
まさしく、覇を唱え誉れ高き弟子を重ねたのである。
現在代々木ゼミナールの荻野暢也が、三次関数の接点問題の解法を教える際に、「この点はでねえよ!」と教えるが、この逸話との関連性は明らかにされてはいない。
民明書房刊「数学者風雲録」より抜粋

214 :水先案名無い人:2006/08/25(金) 15:32:25 ID:6KeT7mfI0
亀三兄弟

中華四大奇書のひとつ、「水滸伝」は施耐庵あるいは羅貫中がまとめたとされる
フィクションであるが、宋江など一部の人物には実在のモデルが存在していた事が
知られている。
その中に登場する水練に長けた荒くれ者、「阮三兄弟」にも実在のモデルがいた。
それが「亀三兄弟」である。

長男は『立地太歳(妖怪・荒神の名)』・亀小児。
次男は『短命二郎(関わった人全てを短命にする次男坊)』・亀唱誤。
三男は『活閻羅(生ける閻魔)』・亀笑止痴。

彼らは性は蛮、言動は卑にして誇りも畏敬もなく、人々から怖れられていた。
しかし、その真の実力は所詮、片田舎の力自慢程度に過ぎず、遠方から来た
武人の使う、まるで嵐の中でしなる枝のように、矢継ぎ早に拳を振るう技
『嵐打枝』の前に、長兄小児はなすすべもなく打ちのめされ敗北した。
しかし彼らの父親がその地の官憲に金を握らせ、武人を追放し「あの果し合いは
小児の勝ちであった」と宣言したため、人々からは続々と不満の声が上がった。
しかし亀家の暴力と官憲の権力を恐れ、大っぴらに彼等を批判できなかった民衆は
亀家の事を侮蔑と皮肉を込めて逆説的に「八百有余もの妖怪をも平らげる長」、
すなわち『八百長』と呼んだ。

もっとも、このような悪行がいつまでも続く訳も無く、彼等は朝廷から派遣された
役人・満(みつる)の繰り出す「仕付け糸」により、親子共々ふん縛られ、哀れな最後を
迎えたと言う。
ちなみに、かの武人の用いた『嵐打枝』が『撲針具』を経て、後のボクシングの
原型となる事は言うまでもない。


民名書房刊『初心者のためのスポーツ入門シリーズ1・ボクシング入門』より抜粋


215 :水先案名無い人:2006/08/25(金) 15:40:15 ID:6KeT7mfI0
ちなみに、「撲針具」の書名は何かと思い原作を調べてみたら、意外な事に
撲針具の頃はまだ民明書房が使われていない事が判明。
民明書房が初登場するのは、この次の「羅倶美偉」から(ともに単行本3巻)。
仕方ないので、撲針具の説明の後のコマで、ボクシング素人の富樫がルールを
覚えるために読んでいた本を>214の書名としました。
(男塾にあった本なんだから、当然これも民明書房刊だろうw)

216 :水先案名無い人:2006/08/25(金) 16:27:22 ID:36O8dXnP0
>>215
>>7を読み返せ。
民明書房とは限らんぞ。

217 :水先案名無い人:2006/08/25(金) 17:11:02 ID:6KeT7mfI0
>216
いやいや、当然そりゃ知ってるよ。アブラタニス書いたの俺だしw。
そういう意味じゃなくて、『初心者のための〜』なんて、一見まともな出版物に見える本も、
中身は民名書房系のデタラメな蔵書しかないはずだって事よ。


218 :水先案名無い人:2006/08/26(土) 20:47:33 ID:9XM4pI2x0
加美粟図

何かかみ合ってないねw

民明書房・刊 『偉大なる奥義の害怒羅員 >>214-217編』より。

219 :水先案名無い人:2006/08/29(火) 01:35:48 ID:DSZy34ftO
あれ?「剣史記」が最初じゃなかったっけ?

まぁあれは創刊以前の本だが。

220 :水先案名無い人:2006/09/07(木) 21:35:13 ID:YncteMtg0
遊鋳部(ゆうちゅうぶ)
唐代の中国にて、シルクロード交易によってもたらされた海外の芸術品などを模倣し、閲覧用として製作する部署のことである。
国家非公認の組織であり、度々査察によって製作物を没収・廃棄されるが、されたそばから再び作られ、飾られていく。
国民にとっては、安い値段で海外の芸術品を見られるのは得なため、国家は禁止することまではできなかったようだ。

民明書房刊「いまさら人には聞けない電脳与太話百選」より抜粋

221 :水先案名無い人:2006/09/13(水) 16:01:19 ID:RueBG81k0
上手いな

222 :水先案名無い人:2006/09/14(木) 03:53:37 ID:8UBpfunq0 ?2BP(21)
【我知無知(がちむち)】

古代ギリシャの哲学者、ソクラテスは恐妻家として有名であった。事あるごとに暴力を振るわれ、
夜の営みなどもっての他だった。そこでソクラテスは哲学の勉強会の時、容貌の美しい青年を
品定めしては男色に耽り、欲望を解消していた。「行為の中で行う議論は発展的である」と彼は
弟子たちに語っていた。この頃から、アテネでは男色スポットの隠語として「発展場」が使われ始めた。
また、ソクラテスはプラトンとの行為の最中に「無知の知」の境地に至ったと言われている。
「私が何者であるかは知らないが、無知であることは知っている」
この有名な言葉は、中国で「我知無知」と漢訳され、日本にも広まった。
最近日本で、ガチムチ兄貴を求める同性愛者が続出しているのは、荒んだ社会を生きていくために
哲学的な心を持った兄貴的存在を探しているからかもしれない。

民明書房刊『一緒に哲学極めようぜ!』より

223 :水先案名無い人:2006/09/14(木) 17:42:40 ID:W9dE1B630
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060913-00000010-mai-pol
あべのDNAを調べたいおざわ

224 :水先案名無い人:2006/09/17(日) 02:57:46 ID:5almHm7n0
王都名路汚道(おとめろおど)

唐代も末期となると、政治ばかりでなく人心の乱れも深刻な状況であった。
唐の都、長安の北部に位置する三舎院(さんしゃいん)へ通じる道には、
男色家が多く住み着き、観光客を襲うなどして社会問題となっていた。
この事態を憂慮した時の王は、三舎院の周りに全国から集めた美女を住まわせ、
男たちの気を引こうとした。しかし男たちは美女たちに興味を示さず、それどころか
美女たちが男たちの行為を詳細に記した手紙を郷里に送ったため、興味を持った
全国の婦人が長安を訪れるようになった。
時の詩人は、群がる婦人たちを見て、『王都名路汚道』(かつては王都の名路と
呼ばれた道も、今では人心の汚染を象徴する道になってしまった)と嘆いた。

現代の日本においても、池袋のサンシャインに通じる道に女子が好む店が集まった
「乙女ロード」なるものが話題となっているが、そのルーツは「王都名路汚道」の
故事にあることは言うまでも無いだろう。

民明書房刊「世界史に学ぶ巨大帝国の終焉」より


225 :水先案名無い人:2006/09/17(日) 10:50:10 ID:3bM3siOS0
うーん、勉強になるのう

226 :水先案名無い人:2006/09/17(日) 20:40:51 ID:ekxPcwYDO
朱黄殴鼻(しゅきおうび)

中国においてアルコール摂取を拳法に取り入れた酔拳はご存知の所であろうが
やはり酒を飲む事であり、面白いエピソードが多く伝記に観られる。
なかでも後に酔拳中興の祖と呼ばれた拳法家、朱黄(しゅき)に関しては記載が多く、
そのなかでも朱黄殴鼻(しゅきおうび)のエピソードは著名である。
かつて酔拳の修行に励んでいた朱黄は、同じく修行中の殷州(いんしゅう)と共に
酔っぱらった状態での乗馬術という酔拳奥義の訓練を行っていたが
ふとした手綱裁きの間違いから馬を暴れさせてしまい、町の人に怪我をさせてしまう。
かけつけた役人により殷州は即座に斬られてしまったが、
朱黄は我に帰り、民衆に己の不手際・未熟を詫び、自らの鼻を
石で殴打して、鼻血を出し泣きながら謝罪したという。
人々は真摯な反省の態度に納得し「朱黄殴鼻」(朱黄は酒に酔い醜態を晒したが
鼻を殴って謝ったから軽い罰で許そう)と口々に言ったと言う。
この一件で朱黄は免状を取り上げられ破門されたが、彼は当然の事と反省し、
再度門下生として修行を初め、数年後に再度免状を許され、酔拳の発展に寄与したという。
その後、朱黄は修行者が酒に酔い過ぎ、過ちを犯さぬよう
彼等を見張り、助ける役職『大綱(だいこう・綱となり酔った修行者を縛るの意)』をおき、
自らの失敗を二度とせぬように気を付けたと言う。

いまでも酒を飲んだ帰りに代行を呼び、運転させるのは
このような故事をベースにしているのは言うまでもない。

(民明書房刊『飲んだら乗るな!車と女とうまい話!』)

227 :水先案名無い人:2006/09/18(月) 01:57:49 ID:2r72KK5X0
>>224
三舎院いいな

228 :水先案名無い人:2006/09/18(月) 12:37:39 ID:/jr7I2A80
>>226
「き」に「黄」を当てるのはちょっとなあ。

229 :水先案名無い人:2006/09/19(火) 14:23:12 ID:1ocvOgC10
474 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん :2006/09/19(火) 14:17:10 ID:K0287NMM
大韓帝国李朝はハプスブルグ家の血を引く
李教授によるとヨーロッパの文化の起源が韓国であることが判明した。
ヨーロッパ文化の中心都市といえば、ウィーンが有名である。
このウィーンを統治していたのが、ハプスブルク家のオーストリア・ハンガリー帝国である。
この「ハンガリー」という意味であるが、「韓人の李」という言葉が訛った
ものであることがわかった。
ハプスブルグ家も李家との混血であり、韓国人の血により、様々な文化が花開いたと言える。

民明書房 「偉大なる韓国!コリア驚いた!!」  より

230 :節制の14 ◆6EgzPvYAOI :2006/09/23(土) 22:46:35 ID:HPyaDiAx0
三舎院……

主徒納亜三舎院(すとなあさんしゃいん)か!

231 :水先案名無い人:2006/09/29(金) 21:38:56 ID:5NJKkgys0
856 名無しさん@6周年 2006/09/29(金) 21:00:14 ID:Gc+azTct0
恋経流辺巣(こいへるぺす)

熊本に勝尾という豪族有り。
平和に暮らしていた彼らだが、世は戦国。
豪族たちが各地で兵を上げ、覇を争う中、勝尾一族も戦渦に巻き込まれることとなる。
当主である勝尾鯉太郎は、精鋭ぞろいの騎馬隊を率い、戦場に赴くが、戦力が違いすぎた。
二十二歳の鯉太郎は愛する妻と一族の女子供を逃がすため、最後の戦いに赴き、勝尾騎馬部隊は全滅したという。
やがて戦国の世は終わりを告げ、時は経ち、無事逃げのびた鯉太郎の妻の元へ一通の手紙が届けられる。
それは鯉太郎が妻への愛を綴った手紙だった。
死を覚悟した鯉太郎が人に託し、それは時を経て妻の手に渡ったのだ。
妻はそれを代々語り継ぎ、その物語は「鯉は時を経て流れ、巣に帰る」すなわち「鯉経流帰巣」と呼ばれ、現在「恋経流辺巣」と呼ばれている。

現在、熊本県最大の暴走族グループ「コイヘルペス」はこれにちなんで名付けられたと思われる。メンバーの勝尾が鯉太郎と関係があるかは定かではない。
コイヘルペスも、小さなウイルスが鯉を殺す様に、少数ながら多くの敵を倒した勝尾家騎馬隊の姿を重ねて名付けられたと言われている。

民明書房刊 「知られざる熊本の最強騎馬隊」より抜粋

【社会】 暴走族「コイヘルペス」メンバー、バイクに車接触で立腹→男性を車で何回も轢く…熊本★3
http://news19.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1159514712/

232 :水先案名無い人:2006/10/07(土) 02:45:51 ID:RPY1NASb0
卑似唖多(ピニャータ) 

遥か海の彼方からもたらされた、異国の宗教秘儀で使われたとされる形代術具。
その正確な出自や生誕は不明とされ、三国志演義の原本にも載ったことが在るとされる。
それによると、海を越えた人知未開の地に興った呪術帝国の神官『武迂怒胡(ブードゥー)』達が、
自らの力を臣民に知らしめるために術で拵えた生き人形が卑似唖多の原型と言われ、動物や
人間の魂を封じ込めて創り出されていたという。

封じ込める魂は、死んだばかりの動物が良いとされ、その動物の力が強ければ強いほど、
卑似唖多は力を発揮し、荒野を緑豊な草原に変えたり、日照りで乾燥しきった大地に
溢れんばかりの雨水すらもたらしたと伝えられている。

本来は武迂怒胡同士が、お互いの術を競うために作られたのだが、帝国末期にはより強力な
卑似唖多を生むために人の魂を封印する邪法が流行り、人を監視したり呪殺するために安易
に生み出された卑似唖多が術者の下から逃げ出したり、呪術の乱用により帝国の版図は瓦解し、
術自体も口伝であったためか、本当の製造方法は全て失われてしまったのだと言われている。

数百年後、かつての呪術帝国の首都の跡にメキシコ帝国が興り、周辺の少数民族を取り込み
ながら発展していく中で、伝承で伝えられていた『卑似唖多』は、長い年月をかけて術具から、
子供の健康を願うためのお守り「ピニャータ」へと変化し、今に至ったのだという。 

現在中南米で、誕生日や聖誕祭を祝う催しとして行われる「ピニャータ」が、紙で作った中空の
動物や星を叩き割るのは、太古の昔に術者の下から逃げ出し、野生化した卑似唖多が、家畜や
子供を喰らう凶暴な生き物だった証とされ、 中に囚われた哀れな動物や人の魂を天に帰すため
の行為が転じたものと言う説が神秘学界を騒がせているが、真偽の程は定かではない。 

(民明書房刊「読解:三国志演義〜呪術と伝来、『嗚呼!卑似唖多(あつまれ!ピニャータ)』より抜粋〜」) 
ttp://www.xbox.com/ja-JP/games/v/vivapinata/

233 :水先案名無い人:2006/10/10(火) 08:36:37 ID:A+kYZ+eAO
【頑駄無】
古代中国に阿武鷺(あ・むろ)という男がいた。
ある日彼の村が山賊・慈穏(じおん)に襲われた際、阿武鷺は白馬に跨り負傷しながらも勇敢に戦ったという。
この話を聞いた時の将軍・蕪礼途(ぶらいと)は阿武鷺に頑駄無(頑なな努力は無駄では無い、の意)の称号をさずけ武官として重宝したと伝う。
これが日本の某アニメの起源であることは語るまでもないだろう。

民明書房刊「中国武将百選」より

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