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1 :名前書いたら負けかなと思っている。:2006/05/20(日) 03:38:52 ID:wkyAfs3i0
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2 :名前書いたら負けかなと思っている。:2006/05/20(日) 03:42:15 ID:RCTopvjf0
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3 :名前書いたら負けかなと思っている。:2006/05/20(日) 03:49:49 ID:cUB1K9nG0
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4 :名前書いたら負けかなと思っている。:2006/05/20(日) 21:19:51 ID:S/7IOHht0
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LIFE

5 :名前書いたら負けかなと思っている。:2006/05/20(日) 22:04:23 ID:/No21aNo0
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6 :名前書いたら負けかなと思っている。:2006/05/21(日) 01:30:32 ID:YwbN0dPd0
 経験するというのは事実其儘に知るの意である。全く自己の細工を棄てて、事実に従うて知るのである。
純粋というのは、普通に経験といっている者もその実は何らかの思想を交えているから、毫も思慮分別を加えない、
真に経験其儘の状態をいうのである。たとえば、色を見、音を聞く刹那、未だこれが外物の作用であるとか、
我がこれを感じているとかいうような考のないのみならず、この色、この音は何であるという判断すら加わらない前をいうのである。
それで純粋経験は直接経験と同一である。自己の意識状態を直下に経験した時、未だ主もなく客もない、知識とその対象とが全く合一している。
これが経験の最醇なる者である。勿論、普通には経験という語の意義が明に定まっておらず、
ヴントの如きは経験に基づいて推理せられたる知識をも間接経験と名づけ、物理学、化学などを間接経験の学と称している。
しかしこれらの知識は正当の意味において経験ということができぬばかりではなく、意識現象であっても、他人の意識は自己に経験ができず、
自己の意識であっても、過去についての想起、現前であっても、これを判断した時は已に純粋の経験ではない。
真の純粋経験は何らの意味もない、事実其儘の現在意識あるのみである。
 右にいったような意味において、如何なる精神現象が純粋経験の事実であるか。感覚や知覚がこれに属することは誰も異論はあるまい。
しかし余は凡ての精神現象がこの形において現われるものであると信ずる。記憶においても、過去の意識が直に起ってくるのでもなく、
従って過去を直覚するのでもない。過去と感ずるのも現在の感情である。抽象的概念といっても決して超経験的の者ではなく、
やはり一種の現在意識である。幾何学者が一個の三角を想像しながら、これを以て凡ての三角の代表となすように、
概念の代表的要素なる者も現前においては一種の感情にすぎないのである。
その外いわゆる意識の縁暈 fringe なるものを直接経験の事実の中に入れて見ると、経験的事実間における種々の関係の意識すらも、
感覚、知覚と同じく皆この中に入ってくるのである。しからば情意の現象は如何というに、快、不快の感情が現在意識であることはいうまでもなく、
意志においても、その目的は未来にあるにせよ、我々はいつもこれを現在の欲望として感ずるのである。



  

7 :名前書いたら負けかなと思っている。:2006/05/21(日) 07:00:19 ID:YwbN0dPd0
 経験するというのは事実其儘に知るの意である。全く自己の細工を棄てて、事実に従うて知るのである。
純粋というのは、普通に経験といっている者もその実は何らかの思想を交えているから、毫も思慮分別を加えない、
真に経験其儘の状態をいうのである。たとえば、色を見、音を聞く刹那、未だこれが外物の作用であるとか、
我がこれを感じているとかいうような考のないのみならず、この色、この音は何であるという判断すら加わらない前をいうのである。
それで純粋経験は直接経験と同一である。自己の意識状態を直下に経験した時、未だ主もなく客もない、知識とその対象とが全く合一している。
これが経験の最醇なる者である。勿論、普通には経験という語の意義が明に定まっておらず、
ヴントの如きは経験に基づいて推理せられたる知識をも間接経験と名づけ、物理学、化学などを間接経験の学と称している。
しかしこれらの知識は正当の意味において経験ということができぬばかりではなく、意識現象であっても、他人の意識は自己に経験ができず、
自己の意識であっても、過去についての想起、現前であっても、これを判断した時は已に純粋の経験ではない。
真の純粋経験は何らの意味もない、事実其儘の現在意識あるのみである。
 右にいったような意味において、如何なる精神現象が純粋経験の事実であるか。感覚や知覚がこれに属することは誰も異論はあるまい。
しかし余は凡ての精神現象がこの形において現われるものであると信ずる。記憶においても、過去の意識が直に起ってくるのでもなく、
従って過去を直覚するのでもない。過去と感ずるのも現在の感情である。抽象的概念といっても決して超経験的の者ではなく、
やはり一種の現在意識である。幾何学者が一個の三角を想像しながら、これを以て凡ての三角の代表となすように、
概念の代表的要素なる者も現前においては一種の感情にすぎないのである。
その外いわゆる意識の縁暈 fringe なるものを直接経験の事実の中に入れて見ると、経験的事実間における種々の関係の意識すらも、
感覚、知覚と同じく皆この中に入ってくるのである。しからば情意の現象は如何というに、快、不快の感情が現在意識であることはいうまでもなく、
意志においても、その目的は未来にあるにせよ、我々はいつもこれを現在の欲望として感ずるのである。



  

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